小督さんのブログ
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お父さんへ
お父さんっ子だった私が、父を嫌いになったのは小学3年生のとき。
算数の成績が低空飛行し始めて、
算数の成績が低空飛行し始めて、
それまでは私に甘かった父が急に鬼の形相に変身
「今日から、お父さんと一緒に算数を勉強しよう」
それまで、好き放題遊んでいた私が急に机に縛られ、
時には泣きながらドリルを解いたこともありました
「今度の算数の成績は1かもしれない」
おそるおそる通知表を見ると、算数は4になっていて、
「頑張ればできるじゃないか。」と喜んでくれた父。
父は仕事が終わってから、
3年間月水金は家庭教師並みに算数を教え続けてくれたのでした
私が小学生に上がる前には、電車に乗った帰りは、
「改札口は混むから。」と、手前のフェンスで私を抱えて外側に降ろしてくれた父。
誰よりも高く、大人たちを見下ろす光景は最高だった
去年父が退院した時には、酸素の機械とともに自宅に戻ってきたため、
2~3時間おきの夜のトイレにも付き添っていたけれど、
不思議なことに全然睡眠不足にはならなかった。
私と父の睡眠のサイクルが同じだったのか
お父さん、今生ではお別れかもしれないけれど、また会えるよね
今まで、ありがとう
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「なにげなく日々を過ごしていると、僕らは全くその大きさに気付かない。自分の目で確かめない限りその力強さはわからない」
わたしのアイコンに使ってるキャラが作中で父に嘆く主人公に言ったセリフです
小督さんにはちゃんとその力強さは見えてたようですね
私は学生時代見えてませんでした
よいお父さんだったんですね
お父様素晴らしいと思います。
そんなお父様の子供に生まれて良かったですね。
親は、子供を選べないのと同じで、子供も親は選べないです。
素晴らしい親子関係に感動しました。
人の繋がりって素晴らしいですね。
こんばんは
私は並みの落第坊主ではありませんよ
少々怒られても全く気になりませんし、
放っているといつまでも外で遊んでいる子供でした
こんばんは
私の両親は勉強には厳しい方ではなかったと思います。
でも、「算数は一度落ちこぼれたらずっと後々まで続くから。」
と父と母が話していたことを憶えています
教師からのいじめを受けていたとは大変つらい思いをされましたね。
でも、新しく受け入れてくれた学校が良かったのでしょう。
「塞翁が馬」ということもありますね
こんばんは
父は仕事が終わって家に帰ってから、私と妹の算数を3年間教えていたのですが、
私は父の真似は到底できないと思っています
小学生向けの算数とはいえ、父も私たちに教える前には必ず教科書に目を通していましたし、
自分の時間を私たちに多く費やしていますから。
そして、何よりも父自身も算数や数学は得意ではなかったと思うからです
こんばんは
今考えると、父は私の問題を人任せにせず、
父自身で確認していこうとしたのだと思います
3年間も私たちを教え続けたのも凄いと思いますが、
父は本来頑張るタイプではないのです
他人には何を言われようとも自分のペースを守る人なのですが、
こんばんは
私は父方の親族と似ているらしく(今日も言われました)、
父方の親族の集まりに行くとわりとチヤホヤされます
こんばんは
夜、父が私たちを起こすとき、
「トイレ行きます。」と声を掛けることがあり、
何かおかしかったです。
おそらく、父なりに遠慮していたのでしょうね
あずささんは娘さんと「基礎英語」を聴いていたのですね。
ふたりでラジオを聴いている時間は楽しかったでしょう。
親子というより姉妹みたいな母娘なのかな?
と思いました
お父さんはどんなに忙しくても家族のことを考えているものですね。
あずささんのお父さまもみんなで楽しめることをしたかったのでしょう
子供の頃はよその家が羨ましく思ったものですが、
やっぱり自分のお父さんやお母さんが一番いいですね
おはようございます
お母さまの仰ること、よくわかります
私は子供の頃、自分が生まれる前の夢をよく見ました。
「どの家に生まれたらいいのかわからない。」と困っている子供がいて、
「じゃあ、あなたも私と一緒にあの家に生まれようよ。」
「私と兄弟姉妹になろう。」と今の妹を誘ったのです