私も昔幼いころに祖母に連れられて高野山へ行ったことがあります。
知り合いの社長さん(もう亡くなりました)も高野山へよく行かれてました。きっと何かを得るためだと思います。
僧侶といえども彼らは「仕事」すなわち職業としてやっているので
別の世界の人ととらえるのはどうかと思います。
私たちは今与えられた仕事を使命ととらえて毎日頑張るしかないです。
その亡くなった社長からよく「足るを知れ」と言われていたのを覚えています。
こんばんは!コメントありがとうございます。
良いことをおっしゃいますね!
ただ真言宗では、煩悩即菩提という言葉もあります。
私は天台宗の寺に3か月余り修行に行ったことがあります。
そこの僧侶たちはどう見ても、そんなに努力して修行をしている
ようには見受けられませんでした。
人間は煩悩の塊ですし、修行もしない凡人は時の流れに身を任せるしかないのです。
もし上を行きたいなら、やはり人の何倍も努力したり、人のために何かしなくてはならないのだと思います。