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筍を食す 30年4月15日(日)20時35分

 今年の筍(たけのこ)を食す。ビニールに入れられた、中国産の筍は、4日おきくらいに食べている。九州産とか。流通網が便利になった。はるばる九州から群馬まで送られてきた。

 流通と言えば、江戸時代の紀伊国屋文左衛門が、紀州(和歌山県)のみかんを正月に江戸に送り、大儲けをしたとか。紀伊国屋書店はこの紀伊国屋である。この頃、江戸の人口は100万人で。世界で最大の都市だったと聞く。


「火事と喧嘩は江戸の花」というが、100万の人口を養う食糧を、大八車で運ぶので、通路はかなり混雑した。「どけどけ。」といった掛け声が常に聞こえた。そして、道路上のトラブルが毎日あった。これから、喧嘩は江戸の花となったと、授業で聞いた。


 そして、貨幣経済が発達し、読み書き、算盤が出来なければ、この江戸の経済は成り立たないと聞く。半分の人が字を読めたという。場合によると、これは世界の平均よりも、学力レベルが高いのでは。明治政府が、江戸時代は暗黒時代と言うが、とんでもない嘘である。この日本人の学力レベルが無ければ、日本の工業化は急速に出来なかった。

大隈重信は言う。「なんだ、明治政府のやっていることは、幕府の勘定奉行、小栗上野之助の考えた案を、そのままやっているだけではないか。」


明治政府の馬鹿どもが、この小栗を高崎の、烏川で、打ち首にした。この小栗の造った、浦賀ドックは、日本海海戦の大勝利を導き、今でも使われている。


私は、この小栗を殺した、張本人は勝海舟だと考えている。小栗と勝のあつれきは、日米通商交渉の時に、サンフランシスコに着いた時に、2隻の船のうち、一隻の勝の船は、日本に帰された。勝の船は護衛船だった。このうらみが、勝にあったのでは。


 筍と言えば、幼い頃、隣との境付近に出て来た筍を掘って食べた事を思い出す。その頃は、貧しくて、おいしいと、思って食べたものだ。


農家の庭先で,皮をむき、皮は和牛に食べさせた。この頃が、一番幸せだった。何しろ、これといった悩みが無かった。


孟宗竹の話は、3月のブログに書いたので、ここでは省くが、これからは春爛漫になる。桜が葉桜になり、庭のチューリップが咲いた。三色すみれも咲いている。こんな事を書いていると、少しは心が休まる。

 この頃か、子猫を前橋から貰ってきた。母が自転車の後ろの竹の籠の中に入れて帰った。中でごそごそ音がして、見ると、子猫が煮干しを食べていた。


このうち、三毛猫は、兄が追いかけていたら、逃げて、竹の幹に頭をぶつけ、そのまま死んでしまった。もう一匹の猫は、私が中学2年まで、8年間生きた。その頃では、長生きだった。黒と呼んだ。この黒は冬は布団の、中に入ってきて、ゴロゴロと鳴り、温まると出て行く。いろいろな思いでが出て来る。



 



 



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