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コーヒーブレイク♪ 《ちょっといい話・・・J 》

★久々に、スポーツライター・二宮さんの、ちょっといい話かな。

 

 はじめ、レフェリング批判かと気になったが・・。

 いいゲームの陰のヒーロー。

 大昔の草サッカーのゲームを想い出した。いいレフェリーがいた。段違いの相手で

 荒れた内容だったが、毅然としたレフェリング。さわやかだった。

 

 

サッカーのレフェリーが手を振った理由

 

二宮寿朗 | スポーツライター2016年1月16日 13時0分配信

2015年10月、ヤマザキナビスコカップ決勝戦で主審を担当した家本主審(写真:アフロスポーツ)



 

心にずっと引っかかっていた。

2015年10月31日、埼玉スタジアム2002。

 

ヤマザキナビスコカップは鹿島アントラーズがガンバ大阪を破り、優勝を果たした。両チームがスタンドで記念メダルを授与される前、先にこの試合の審判団がメダルを首にかけられていた。筆者はこの光景を何気なく見ていたのだが、メダルを手にした家本政明主審が観客席に向けて手を振っていた。

 

選手がファンや知人にするのはよくある話だとしても、レフェリーの行為としてはちょっと珍しい。勝者もいれば敗者もいるのだから、周囲への配慮を考えて淡々と受け取る場合がほとんどだと思う。

筆者は以前、家本主審を追ったことがある。

 

08年2月、鹿島とサンフレッチェ広島が戦ったゼロックススーパーカップ。警告11枚、退場者3人を出したゲームは試合後、怒声と罵声が審判団に降り注いでいた。淡々と厳格なレフェリングを務めようとした家本に対し、試合をコントロールできていなかったとバッシングは収まらなかった。審判委員会は「冷却期間が必要」として当分の間、主審の割り当てを見送ることにした。

 

いいレフェリングとは何かを考えさせられた出来事であり、また、不器用に思えた家本主審個人に対しても強い関心を抱いた。

 

4カ月後に復帰するまでの経緯を、関係者に話を聞きながら取材を進めた。その際、本人にも一度インタビューしている。彼自身、いいレフェリングというものを日々、自問自答していることが伝わってきた。

あれから7年以上が過ぎた。

 

キャリアを積み重ね、ウェンブリーでのイングランド代表―メキシコ代表戦やFAカップで笛を吹き、国内でも決勝カードを担当するようになった。31歳の史上最年少でプロフェッショナルレフェリーになってから、はや10年。キャリアのあるレフェリーが、どうしてあのとき手を振ったのか――。

 

12月、ある駅のホームで彼とバッタリ会った。

軽い挨拶を交わした後、聞けば日本サッカー協会のあるJFAハウスに立ち寄っていたのだと言う。こんなチャンス、またとない。次に来る電車を待つ時間、筆者は心の引っかかりをそのままぶつけてみた。

 

彼は「よく見ていましたね」と笑い、すぐさま真剣な顔つきになった。そして言葉を続けた。

「もちろん普段ならあんなことはやりませんよ。特別な意味があったと言いますか……」

特別な意味?

言葉を反芻する筆者に対し、彼は静かに言った。

 

「実は4歳の息子が試合の翌日に入院して手術することになっていて、病院の許可をもらって試合に呼んだんです。妻と娘も、家族全員に来てもらったのは、初めてでして。最後にメダルをもらったときに家族が見ている場所と割と近かったんで、それで手を振ったんです。もちろん試合中は試合だけに集中していますけど、試合を終えて、ここでなら父親として手術、頑張れよっていうメッセージを伝えてもいいかなと思って……。ひょっとしたら家本のヤツ、調子に乗りやがってと見られてしまうかなと思いましたけど、それでもいいかなと」

 

気がつくと電車がホームにすべりこんでいた。同乗して話の続きを聞かせてもらうことにした。

愛息が病気と闘っていること、そして手術を嫌がっていたこと。

彼はつり革をギュッと握りしめた。

「でも試合の後に会ったとき、僕にこう言ってくれたんです。『パパは頑張ったんだね。だからメダルをもらったんでしょ? 僕も頑張らないとね』って」

手術は無事に成功した。

 

頑張った息子は、父にこう言ったそうだ。

「どう? 僕も頑張ったでしょ」

家本は嬉しそうに言った。

愛息を勇気づけるために、彼は批判を覚悟のうえで手を振っていたのだった。

 

ナビスコカップに話を戻したい。

試合後の記者会見で、ガンバ大阪の長谷川健太監督は家本主審の名前を出していた。

 

「きょうは家本主審ということで、他のレフェリーだったら(ファウルとして)取るかなというところを流されたりした場面がありました」

これは主審のレフェリングに不満を示したというよりも特徴を語っているのだが、「なるべくプレーを止めないレフェリー」と認識されているところが興味深い。以前は、厳格にあろうとして、すぐ笛を吹くレフェリーだと思われていたのに。

 

7年前、主審に復帰した彼の言葉をふと思い出した。

「ゼロックスを境に(目指していく)審判像が明確に変わりました。審判から見て、いい審判ではなく、選手たちのやる気を動かしていけるようなレフェリングというか。ルールを順守していくなかで、いいゲームになることが一番だと思いますから」

 

あの騒動によって先延ばしになっていた婚約者との結婚式を済ませ、苦しいときも支えてくれた愛妻との間に2人の子供を授かった。

「家族のおかげで、いろいろと頑張れているのかなと思います」

電車を降りる際、彼は噛みしめるように言った。

家族の存在が、彼をレフェリーとして逞しくさせているのだと、強く強く感じることができた。

 

二宮寿朗スポーツライター
 

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。

 

文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。

著書には「岡田武史というリーダー 理想を説き、現実を戦う超マネジメント」(ベスト新書)、「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない。~闘争人Ⅱ永遠の章」(ともに三栄書房)、「サッカー日本代表勝つ準備」(実業之日本社)がある。現在、NumberWEBにて「サムライブルーの原材料」、現代ビジネスにて「FOOTBALL STANDARD」を好評連載中。

 

 

 

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