「ファミリーポートレイト」

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2016/01/01 - 元祖SHINSHINさんの株式ブログ。タイトル:「「ファミリーポートレイト」」 本文:ぱらぱらとめくると、表紙の裏に、とっくに死んでるという作家の肖像写真が掲載されていた。こっちをじっと見てるので、目があったようで急に怖くなって、閉じた。 「この人、もう死んじゃってるの。不思議。

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「ファミリーポートレイト」

元祖SHINSHINさん
元祖SHINSHINさん

ぱらぱらとめくると、表紙の裏に、とっくに死んでるという作家の肖像写真が掲載されていた。

こっちをじっと見てるので、目があったようで急に怖くなって、閉じた。

 

「この人、もう死んじゃってるの。不思議。

 さっきまで、まるでここにいるように語りかけてきたのに」

 

残念そうな響きで問うと、鍛治野さんは目を細めてちょっと皮肉っぽい笑い方をした。

 

「そんなの、構わないさ。

 どちらにしろ、作家というのは命に線を引かなくてはならない生き物だ。

 目の前で、燃える、真っ赤な地平線に向かってまっすぐ走っていく。

 表現の輝きとは本来、そういうもので、緩慢なやつらはいつのまにか文化人なるものになり、

 まぁ精々長生きすりゃあいいけど、ぼくは興味ないね。

 命のかかった言葉にしか、金を出して買っていただく価値はない」

 

グラスの中で、氷が細い悲鳴みたいな音を立てて、揺れた。

(P.384~385より抜粋)

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あたしが死と同義語と思えるほど人を愛して、全身全霊を支配されたのは、

ママとの旅が最初で最後だった。

生まれてから十四歳までの長い時間。

あの冬、目の前でママが湖に消えたときに、これから先はどれだけ生きても余生だと悟った。

そうしたらほんとうにそのとおりだった。

喪失の記憶から逃れ、闘い、飲みくだしては吐瀉する日々。

(P.574より抜粋)

 

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初め、そこには狂気があった。

そして人間はときに、内側の狂気に喰われてしまう。

 

喰われまいとして、からだの一カ所に穴を開け──もちろんそこにはもともと穴などない、

自分で刃物を使ってこじ開けるのだ──そこから狂気を外に押し出そうとする。

その穴の名を、表現という。

 

己の内の、狂気を、客観性と加工技術によってエンターテイメントに昇華して、

人びとに消費してもらうことによって、ほんの一時、生き延びる。

 

だけど狂気はつぎつぎ生まれてはからだを蝕む。

狂気が追い、表現が走る。

 

追いつかれたら、破滅するだけだ。

(P.563より抜粋)

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★「ファミリーポートレイト」

  桜庭一樹著 講談社文庫 876円+税 2011.11.15.第1刷 

 

どーしよう。。

桜庭一樹は、もうオイラのいちばん好きな作家になってしまったよ。

素直に、シビれてしまっている。

 

五条大橋で義経と闘った後の、弁慶のようにオイラはなってる。

 

作品を味わいながら、

同時に、小説の書き方・矜持ってものを、教えてくれてもいる。

 

この作品の解説を、角田光代が書いている。

それを読むと、角田光代がどれだけ正直な作家なのかもよくわかって、

これまた感動してしまう。

 

光代の魂も、美しすぎる。

 

 

 

 

2件のコメントがあります
1~2件 / 全2件

桜庭一樹は、きっと音楽でいうロックを書いているんですね。

村上春樹はジャズなんだけれども、一樹のはロック。

それも、すこし茶目っ気の効いたロック。

 

本文で挙げたところなんか、

もう、やり口がエリック・クラプトンだっつーの。

そーいうの、わかってても、ハマっちゃうんですよ。。

 

 

元祖SHINSHINさま。

いやぁ~、その桜庭一樹の小説の抜粋は、迫力あります。アウト・サイダーの詞です。しっかし、自分は、すこしも小説を讀まない男になっています。そのこころは、自分と同時代の作家といゑば、田中康男センセと林真理子センセよ。おふたりとも、それはそれは自己愛の強い御方で、とてもとてもoutsiderでは、ありません。かたやsuper.snob(本人談)。かたや「強運な女」succes-story by myselfのおかた。


 なぜなんだ?ひとつは、やっぱりテレビのせいでは、あるまいか?

テレビに出演となると、やっぱ自分が人にどう見られるかが人生のメイン・テーマとなる。自己観察・自己洞察は、どうでもよくなる。そして小説・文学は、どうあつても、内心の問題ではあるまいか。それと小説は、言葉(日本語)によって綴られるもの。映像とのコラボなんてありゑなひ。「命のかかった言葉にしか、おかねを出して買っていただく価値はない。」桜庭先生の言うとおりぢゃなひか。                        拝

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