ぱらぱらとめくると、表紙の裏に、とっくに死んでるという作家の肖像写真が掲載されていた。
こっちをじっと見てるので、目があったようで急に怖くなって、閉じた。
「この人、もう死んじゃってるの。不思議。
さっきまで、まるでここにいるように語りかけてきたのに」
残念そうな響きで問うと、鍛治野さんは目を細めてちょっと皮肉っぽい笑い方をした。
「そんなの、構わないさ。
どちらにしろ、作家というのは命に線を引かなくてはならない生き物だ。
目の前で、燃える、真っ赤な地平線に向かってまっすぐ走っていく。
表現の輝きとは本来、そういうもので、緩慢なやつらはいつのまにか文化人なるものになり、
まぁ精々長生きすりゃあいいけど、ぼくは興味ないね。
命のかかった言葉にしか、金を出して買っていただく価値はない」
グラスの中で、氷が細い悲鳴みたいな音を立てて、揺れた。
(P.384~385より抜粋)
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あたしが死と同義語と思えるほど人を愛して、全身全霊を支配されたのは、
ママとの旅が最初で最後だった。
生まれてから十四歳までの長い時間。
あの冬、目の前でママが湖に消えたときに、これから先はどれだけ生きても余生だと悟った。
そうしたらほんとうにそのとおりだった。
喪失の記憶から逃れ、闘い、飲みくだしては吐瀉する日々。
(P.574より抜粋)
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初め、そこには狂気があった。
そして人間はときに、内側の狂気に喰われてしまう。
喰われまいとして、からだの一カ所に穴を開け──もちろんそこにはもともと穴などない、
自分で刃物を使ってこじ開けるのだ──そこから狂気を外に押し出そうとする。
その穴の名を、表現という。
己の内の、狂気を、客観性と加工技術によってエンターテイメントに昇華して、
人びとに消費してもらうことによって、ほんの一時、生き延びる。
だけど狂気はつぎつぎ生まれてはからだを蝕む。
狂気が追い、表現が走る。
追いつかれたら、破滅するだけだ。
(P.563より抜粋)
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★「ファミリーポートレイト」
桜庭一樹著 講談社文庫 876円+税 2011.11.15.第1刷
どーしよう。。
桜庭一樹は、もうオイラのいちばん好きな作家になってしまったよ。
素直に、シビれてしまっている。
五条大橋で義経と闘った後の、弁慶のようにオイラはなってる。
作品を味わいながら、
同時に、小説の書き方・矜持ってものを、教えてくれてもいる。
この作品の解説を、角田光代が書いている。
それを読むと、角田光代がどれだけ正直な作家なのかもよくわかって、
これまた感動してしまう。
光代の魂も、美しすぎる。