jojuさんのブログ
大学の講座制、教授頂点の序列は、学問の自由と発展を阻害
表題は、大学に関わったことのあるヒトならば薄々分かってることだと思う。
学問、科学を行うスキル、方法は教授から学べど、それを使ってどう考え、合理性を追求するかは個々の学者が老若問わず自由に行うべきである。
教授の言うこと、教授の思想を踏襲では学問の自由も発展もない。
しかし、実際には教授と違う思想を持つと、それがより合理的であれ、干され、放逐され、学者、研究者として生きにくくなる実態が少なからずある。
学問の自由、発展に逆行する制度、慣習が、それを主張する日本の大学で延々と続いているのは驚きでもある。
こうした状況が、この記事のような結果を生んだのではないだろうか?
関連、、、https://kotobank.jp/word/%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E5%88%B6-495272
変える動きはあったようです(小泉時代)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/houkoku/04120901/002/004.htm
あまり変わってないようです(骨抜き。米国との対比)
http://iiaoki.jugem.jp/?eid=750
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1465602004
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教授の思想にイエスマンならば科学する精神、合理性を追求する精神は十分に育たないだろう。
現状、市場原理にさらされていない分、日本の大学という組織は、一般企業より階級化しやすく、不合理になりやすい(なっている?)。
理系では現状でもこうした状況は起きにくい。
それは、文系と比べデータが取りやすく、分析しやすく、曇り無き分析結果を提示しやすく、教授の間違いが白日にさらされやすいからである。
(組織運営はともかく)こと学問に関し、不合理のまん延を防ぎやすいのは理系の方である。
だからメンツ、権威に囚われる人は理系の教授には向かない。
それはすぐに崩壊させられるから。
理系ではメンツ、権威から自由なほうが心地よく過ごせる。
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