主人公ジャックの採用面接。
ジャックの視点で話が展開する三人称。
文体はライト系だけれども、色々な狙いも感じられる書き方。
面接官との会話がメインで、
その会話から、採用される予定のホテルに問題があることを知る。
前任者は、家族を皆殺しにして、散弾銃で自殺していたのだ。
★「シャイニング」
スティーブン・キング著 深町眞理子訳 文春文庫
600円+税 1986.11.10.第1刷 1993.9.25.第9刷
石川達三は無駄な会話を省き、
ここぞという場面で展開すべきと「経験的小説論」で書いていた。
しかし、「シャイニング」の冒頭で展開される会話の場合には、
その会話を利用して、上記の情報を読者に伝える手法を採っている。
映画になることを狙った小説の場合には、
会話がないと映画にしにくいので、自然にそうなるのだろうか。
そういえば、「バイオハザード」はほとんど会話で、
恥ずかしいくらい下がスカスカだった。
それに、会話のないドラマも映画もほとんどないのだから、
これでイイのだろうか。
その一方で、
実はシナリオライターが小説の文学性を低下させているという意見もあるようなので、
(少なくとも石川達三は、そう書いていた)
このへんの兼ね合いはなかなか難しそうだ。
小説家とシナリオライターは仲が悪そうだ。
いやいや、書き方が違うってことだろう。
「シャイニング」冒頭の人物描写は、面接官にだけタッチして、
あとは会話をさせることによって、面接官とジャックの性格を浮かび上がらせている。
オイラの場合、
人物描写の印象は聞き流して、会話だけ集中して読んでいた。
すると、面接官の声が水谷豊になっていた。
「相棒」で彼がしゃべりそうな科白だったからだ。
こんな風に読者が勝手に想像して読んでくれたら、
作者にとっては楽なのではないか。
(知れば、頭にくる場合もあるだろうけれど)