美味しいうどんさんのブログ
株も台風も洪水も同じだ。まず避難が優先だろう(^^;
大荒れの為替市場、昨夜の為替ドル円は一時117円台に突入するなど大荒れだった。
日経平均も今日は400円安。下がるのは本当に早いね~
高値圏で買った人は早々と含み損になったのでは?
冷静に相場を見つめていたならそろそろ大崩れが来そうだとわかる。
欲も得も捨てて「急ぎ利確 急ぎ避難」すべきところを、「まだ騰がる、もっと騰がる」と欲を出す。
結局保有株の買いコストが高いまま保有し続けドスン下げに遭う。
「我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず・・・」
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この文章を読まれた方や聞いた方多いでしょう。^^
浄土真宗に伝わる有名な「白骨の御文章」ですね。
以下に主な部分を載せますね。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露(つゆ)より繁しと言えり。
されば、朝(あした)には紅顔ありて夕(ゆうべ)には白骨(はっこつ)となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李(とうり)の装いを失いぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半(よわ)の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり。されば、人間の儚き事は、老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
若いひと達は知らないかもね。意味はこういう意味ですよ。
意訳[編集]さて、人間の内容の無い生活の様子をよく考えて見ますと、およそ儚(はかな)いものは、人間の生まれてから死ぬまでの間のことで、それは幻のような生涯です。
それゆえに、いまだ一万年の寿命を授かった人がいたなんてことを聞いた事がありません。人の生涯は過ぎ去りやすいものです。今までに誰が百年の肉体を保ったでしょうか。〔人の死とは、〕私が先なのか、人が先なのか、今日かもしれないし、明日かもしれない、人より後であろうが先であろうが、草木の根元に雫が滴るよりも、葉先の露が散るよりも多いといえます。
それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕には白骨となる身であります。もはや無常の風が吹いてしまえば、即座に眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまい、桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、一切の親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事もできない。
そのままにはしておけないので、野辺に送り荼毘(だび)に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、ただ白骨だけが残るだけです。哀れと言っただけでは言い切れない。人生の終わりは、年齢に関わりなくやってくる。だからどのような人も「後生の一大事」を深刻に受け止め、阿弥陀仏から他力の信心を頂いて、念仏申すべきであります。
「野辺に送り荼毘(だび)に付し」
今は各自治体に火葬場が設置されていて、人が死亡したらそこで焼く事になってます。
大昔は土葬といって埋めていた時代もあったのですが法律で禁止になりました。
私が幼い頃は田舎では今のような重油やガスで火葬する事がなかったのです。
各部落や地域に「焼き場」と呼ばれるところがあり、薪を積んでその上に棺桶を置いて燃やしたのです。棺桶は座棺(ざかん)と呼ばれ座った状態の棺桶です。
それを天秤棒で担いで焼き場まで運んだのです。
現在はほとんどが寝棺(ねかん)ですね。
火をつけて燃やしても上手に焼けるとは限りません。
半焼けになったらそれこそ大変。それで火の加減を見る「焼き番」がいます。
上手に焼き上がるように薪を調整するのです。
作業は寝ずの番となりますから朝までかかりました。
座棺 焼き場
焼くと白い煙が出ます。野原で焼くものですから「野辺の煙」と言われたのです。
怖い場面もあるのです。それは座ったままの状態で焼くのですから、たまにですが死体がスクッと立ち上がる事がありました。
熱膨張で人体が延びたのでしょうね。
でも焼き番だけしかいないさびしい焼き場で、いきなり死体が立ちあがったらどれほど驚いた事でしょう。ギャー
葬儀の列 地方によって特色がありました。
現在時刻ではまだ為替が安定しておりません。
今夜の欧米市場がどう動くのか見極めてから行動したいものですね。
あら~今日のドスン下げで「野辺の送り」になったって~?ぅ、ぅ、
我や先、人(他人)や先……いえ、いえ、あなたからどうぞ。私はまだ生きていたい。
金の馬の飾りを持って後をついてくる人もいました。
そうですか。いろいろな葬儀の出し方があったんですね。