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この人から学ぶこと 11月23日(日)10時29分

 時々、心がくじけそうになる時がある。しかし、世の中には、さらに大変な窮地の状況でも、挫けない人生を歩んだ人がいることを思いだし、何とか頑張ろうと思っている。

(以下は、「東京5輪から半世紀、ベラ、チャフラスカさんに聞く」と題しての、日経新聞10月25日()から、再編集しました。)

 1964年の東京オリンピック、女子体操の金メダリスト、チャフラスカ(当時、国名はチェコスロバキア)さんが、その一人である。彼女の逆境に耐えた生き方は、学ぶべきものがある。彼女の生き方は、共産主義の自由と言論の自由を認めない政権との闘いでもある。


 彼女は、1964年の東京5輪の開会式から、50年後の記念式典に来日した。


彼女の半生は、波乱と耐乏生活である。そこには、共産党政権からの脅しと思想統制の強制があった。しかし彼女は自らの思想を変えなかった。そこで共産党政権は、彼女をスポーツ界から追い出し、仕事を妨害し、不自な生活の強制を続けた。 


 1968年春、チェコスロバキアで民主化を求める運動が燃えあがる。しかし旧ソ連軍などの介入で押しつぶされる。彼女は改革を求める「2千語宣言」に署名し、民主化支持の姿勢を鮮明にした。共産党政権は何度も署名の撤回を求め脅した。しかし彼女は主張を変えなかった。そして秘密警察から危険人物と見なされ、スポーツ界から追放された。


 権力ににらまれるのを恐れて、人は次第に彼女から遠ざかる。共産党政権は彼女の自由を奪い、体操を教えることすら許さなかった。仕事をすることが出来ない、子育て以外に仕事のない日が、6年も7年も続く。彼女の顔は国中に知れていて実名では仕事が出来ないのである。そこで、スカーフで顔を隠して、別人の名前で清掃の仕事をした。


彼女の言葉である。「最後まで自分を信じた。その信念が私の心の支えになった」


 1989年の「ビロード革命」で、共産党政権が崩壊した。ハベル元大統領に呼ばれ、プラハのバルコニーに立つと、広場に集まった人は、不遇の生活を強いられたことを知っていて、大歓声で迎えた。革命後は、大統領顧問に就任し多忙を極めた。ところが93年長男が、離婚した夫を死に至らしめる事件が起きる。それが原因となり心身を病み、長い療養生活になる。しかし、それも克服し5年ほど前から元気になる。彼女の言葉である。「40年の逆境に耐えて蓄積したエネルギーがみなぎったのだと思います。」これが彼女の半生である。


 壮絶な生き方と言える。政治権力から、仕事も出来ない状態を7年間、耐えてきた。生活のために、顔と名前を隠して、清掃作業をした。その中で彼女の言った言葉、「最後まで自分を信じた。その信念が私の心の支えになった」「40年の逆境に耐えて蓄積したエネルギーがみなぎったのだと思います。」


 この2つの言葉は、日本で逆境に耐えている人に、どれだけの勇気と生きる希望を与えるかと思う。直接話すことは出来ないが、どうか生き延びて欲しい。何時か、必ず良いことが訪れると信じて欲しい。

(また、共産主義は、言論の自由を奪い思想統制を強行し、民主主義を認めない政治体制であることも、事実です。日本共産党も例外ではなく、政権をとれば、国民を弾圧することは、容易に予想できます。)






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