STAP細胞報道、、、変な方向に行きつつある。
論文に必要なのは新規性、合理性の二点であり、小保方論文でのそれは「STAP細胞の発見」である。
だから、STAP細胞が同じ方法で再現できるか否か、、、そこがクリアされてれば小保方論文は論文として何の問題もない。
その点に自信があるからこそ、米国の共同研究者は論文取り下げを拒否してるわけだし、その点で反証がないからこそネイチャーは論文掲載拒否をしてないわけです。
ところが、日本のマスコミ報道はその本論をすっ飛ばしていきなりねつ造断定のようになってる。
昨日の読売記事では、論文の正否とは直接関係ない(間接的には関係ある)実験ノートの巧拙だけで、ねつ造と断じるような報道になってる。
ねつ造というからには、STAP細胞が存在せず、かつ他のものと取り違えたわけでもない、ということでなければいけない。
STAP細胞が無くても、他のものとの取り違いならば、それはねつ造とは言わない。
こういうことは先端分野の過去論文でも多々あるが、それらはねつ造とは言われてない。
先端分野ではそういうミステークは付き物だからである。
安易なねつ造断定、ねつ造報道は名誉棄損に相当するのではないか??
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小保方論文問題は、一部研究者の焚き付けに乗って、マスコミが本質と違うところ、枝葉の問題で大喚きし、それに動転して政府・文科省や理研の対応がねじ曲がる構図になっている。
マスコミ報道によって一研究者への処断、将来が変わるようなことはあってはいけない。 マスコミは国民の代表でもなく、裁判官でもないからである(国民の代表は選挙で選ばれた政治家)。
小保方論文は、本質的な部分で正しければ、枝葉の部分(図の件)は修正で済む問題である。
枝葉の部分でマスコミが大喚きしたからと言って、研究者をただちに処罰、、というのはあまりにもお粗末な対応ではないか? それに流される監督官庁もおかしくないか?
これではマスコミが喚けばどんな理不尽でも通ることになってしまう(極端な話、スピード違反で死刑になるようなものである)。
(補足) 枝葉どころか、事実無根の尾ひれをつけた報道も多々見られるが、これは完全に名誉棄損に該当する。 こういうのは逐一訴えないと、「ペンの暴力」が横行することになる。 理研も戦うべきところは戦ったほうが良いのでは?? 現状は謝罪しなくていいとこまで謝罪してる感があり、アホマスコミのやりたい放題である(全てのマスコミがアホではないが、この件に関してはそうなってるマスコミが多い)
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マスコミが喚くと法律の運用が変わるならばそれは法治国家とは言えないし、マスコミ人の声だけで法律運用が変わるならば民主主義国家とも言えない。
なぜなら、マスコミ人は国民の代表ではない。国民の選挙で選ばれてるわけではないから。
ところが、こういう事例は少なからずある(例えばライブドア事件)
一部の国民に過ぎないマスコミ人が喚いただけで、国民の選挙で選ばれた政治家の行動が左右されるのはおかしい。
政治家はマスコミ世論がおかしければ堂々と反論すべきだし、それを受けての国民世論を見て行動すべきではないか?(国民世論が浅はかで反国民益になってると思うならば、自らの信念を貫き、その成果を持って次の選挙で信を問うべき)
今のようにマスコミ世論に粛々と従う政治家ばかりでは、選挙で政治家を選ぶ意味が無くなる。
国民益に反するマスコミ世論がまかり通るマスコミ独裁国家、マスコミ洗脳国家にもなりかねない(マスコミ、官僚が連携してしまえば、国民益無視で政治家が操作される官報独裁国家、官報洗脳国家になってしまう、、、既になっている??(--; )
(補足) 選挙で選ばれた政治家が官僚を指導し、それを受けて官僚が「ぶれずに」法執行を行い、その結果を受けて、次の選挙で政治家を選びなおす、、、、それが民主主義、法治主義のあり方。 マスコミの声で政治家の指導や法執行が決まるならば選挙は有名無実化する。