また原価不明の建築物が建てられるようだ。
それは現在市立病院が移転し更地になっている周辺に建設されるものなのだが、その更地にできる主要施設は堺市が広報している資料から見るとその内容は【私の仕事館】レベルにしか見えない。
そして原価のわからない建物とは「たまたま?」その主要施設の向かいの敷地にある古井戸しか残されていない敷地に作られるものだ。
その旧蹟【千利休生家・椿の井戸】に復元家屋を建設するという。しかしその元となるものはある寺の図面の付箋として残されたもので部屋割りがわかる程度らい。
歴史考証・茶人のアドバイスなどでそれらしい物を作るつもりなのだろうが、結局予算だけが膨らみまがい物が作られることになるのだろう。
「夏草やつわものどもの夢のあと」のように無いことで
イメージするべき場合もあるだろうに。
とどのつまり デザイン優先のあの児童館の轍を踏んでいるとしか言いようがないと思うのだが。
また これらのことを検索していて気づいたことが、ここを更地して1996移転した病院がまた移転するという。
理由は、三次救急患者受け入れ施設を現状では併設できないという。平成19年に国の基準が変更されてとのことだが、
昭和50年代から救急センターの設置は進められてきた。基準は100万人に最低1カ所というもので当時堺市は80万人、国の基準変更前に設置する意味はあったはずだが、三次救急のない堺市は大阪市内の病院または南大阪の大学病院に甘えてきたといっていいだろう。
それが今になって併設の病院を建てるという。悪く考えれば予算を食う建物を続けざまに作っているとしか思えない。
話はそれるが八尾市長があるコンセプト発表に対して【聞いていない】とコメントしたことがある。
私はなるほどと思った。
なぜか、それは逆にそれらが彼らの力の源泉であり、利益の源泉なのだろうから。 すべての細部まで入手しておき利用する。設計は市場価格から乖離した資料で算出し、通りのよい所だけを市民に知らせる。間違っても事前開示することなく 市民にコンセプトが否定されたり、見積算出されないことが必要だから。
新聞も通り一遍のニュースにせずにもっと「なぜ」を追求したらいいのに。
乱文におつきあいいただき
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