堅実さんのブログ
前橋空襲 8月13日(火)11時11分
これは、高校の先生や中学の先生から、また母親から前橋空襲を聞いた話です。(ネットの百科事典ではB29が、92機飛来している。)前橋市の規模からして、92機は、誤りではと思う。数機ではと思う。
B29の空襲では
1 始めは照明弾を投下する。これは中学の先生から聞いたのですが、距離は不明ですが、新聞の字が読めたと聞きます。
2 次に、粘着性のある油を撒く。よく雨が降ると聞きますが、雨では無く、油です。民家の火災を考えたものです。
3 次に焼夷(しょうい)弾を投下する。この焼夷弾は数十本が束になって投下され、その束が空中で丁度、打ち上げ花火が開くように広がり(中心に爆薬がある)火がついて落下する。この焼夷弾は長い円筒形の筒状のもの。
4 前橋カトリック教会には、落ちなかった。キリストの十字架が見えたと思われる。この教会は現在でも、ミサに使用されている。
5 この焼夷弾は、わたしの生家の畑に2発落下しました。風呂桶くらいの穴が2つ空いたと聞いております。この穴の大きさからすると爆弾の可能性もあります。わたしの爺が、それを掘り出して、「じゅうのう」=金属製のちりとり、を作ったことを聞いております。かなり危険な事でした。これが爆弾ならどうなっていたか。その「じゅうのう」で、遊んだことがあります。20×25くらいです。これに木製の柄をつけたものです。
畑に落ちた焼夷弾は、前橋市から10キロくらい離れた距離ですので、間違って落としたことも考えられます。それと落下数が束になっていたなら、火災をおこした農家の数は1軒ではすまなかったはずです。数本ではと思います。近くの農家が1軒だけ、火災を起こした。
前橋空襲は終戦10日前の1945年8月5日午後10時半ごろに始まった。焼夷(しょうい)弾などが次つぎと投下され、中心街は焼け野原に。死者535人。被災家屋1万1518戸という甚大な被害となった。(毎日新聞8月6日、ネットより)
-
タグ:
こんにちは
いちどだけ爆撃機が爆弾を投下するのを見ました。
ベトナムで被弾した爆撃機が石垣飛行場に緊急着陸する際に、着陸炎上を避けるために爆弾を海上に捨てることがあったらしいです。
そのとき、爆弾はずいぶん横に飛ぶものだと思いました。
上から降るのでは無いですね。
時速600㎞以上で飛んでいる飛行機から投下した爆弾だから、初速600㎞以上なので当り前ですが、ミサイルのように横に飛ぶのはけっこう意外でした。
かなり見晴らしの良い場所でないと、横から来る爆弾は見えないだろうと思います。
ただ、風を切って近づく音は聞こえると思います。
あんなのを狙われて落とされたら、生きた心地がしないです。
まはい さんへ
コメント、有難うございます。この日記にはコメントがあると、予想しておりませんでした。
ただ、記録として残しておきたかったのです。そして、興味があれば、見てもらえたらと、思っておりました。
まはいさんの日記に有りますように、初速600キロメートルなら、空気抵抗を無視すれば、毎秒9.8メートルずつ、下降する速度は速くなるはずです。(例えば5秒後は 9.8×5=で約50メートルの下降速度です。理論上は放物線を描いて下降する。)この場合、水平方向の速度は、空気抵抗が無い場合、600キロメートルです。
ベトナムで被弾したというので、ベトナム戦争だと思いますが。
19時49分