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終戦前後 8月12日(月) 10時05分

今時分になると、終戦前後の事を考える。この日本は朝鮮半島のように、南北に分断されずに幸運だったと思う。もし、太平洋戦争が8月で終結ではなく、あと半年延びていたらこの日本はどうなっていたかと考える。以下は7月のシリーズの日記、共産党批判を加筆、修正したものです。

 

ここで、太平洋戦争終了期の1945年(昭和20年)を考えます。昭和20年8月14日に、日本は降伏しましたが、この時は既に、ソ連、米国の対立が有りました。8月8日に、ソ連は日本に宣戦布告をしましたが、この少なくても、数カ月前には、ソ連軍は極東に集結していたことは、容易に考えられます。広島、長崎の原爆投下は、このことの是非の評価は、ここでは考えないとします。そうです。

 

その時の今時分、7月の始めには、何時ソ連軍は攻め込むかと、その準備は出来ていたのです。原爆投下は、このソ連、米国の対立を考えれば、理解が容易です。ソ連軍の極東進行は、当然のことですが、米は察知しておりました。米国はソ連の日本侵攻を阻止しようとしたのです。それが原爆投下と考えております。早期に、日本を降伏させるためです。これも賛否両論があります。(このことは歴史の試料等でいずれ、はっきりすると思います。)日本の降伏が8月ではなく、その後の、半年後になっていたら、本土決戦になっていたらと、思いますと、背筋が寒くなります。

 

仮に、日本の降伏が半年後に伸びていたら、おそらくこうなっていたでしょう。それは現在の朝鮮半島と同じことになっていたのです。

 

ソ連軍は、終戦前後、つまり8月8日から、中国東北部、つまり満州国に攻め込みました。それと同時に、樺太やアリューシャン列島を南下しました。つまりソ連軍は2つの方向から日本に攻め込んできたのです。この時には米軍は、沖縄を占領しておりました。これと同時期に、広島、長崎に原爆が投下されました。日本の降伏を早めるためです。ソ連軍の極東侵攻を阻止するためです。そしてソ連軍は北方4島まで侵攻してきて、ここでストップしたのです。

 

ここで、記憶に残る新聞記事があります。昭和40年頃(41年かも)の読売新聞のシリーズで掲載された記事です。秋だと記憶しております。それは8月の20何日頃、アリューシャン列島の空で戦闘機の空中戦があった記事です。これは旧日本軍の戦闘機と、ソ連の戦闘機の戦いかもしれません。島民が、戦争が終わったのに、何故かと不思議に思った記事です。事実は後になって解ると思いますが、これは米ソの、直接の戦闘ではと思っております。

 

もし、日本の降伏が後、半年後になっていたとしたら、ソ連軍は北海道を南下し、東方地方、そして関東地方まで、侵攻してきたかもしれません。(あるいはもう一つの侵攻、これはわたしが考えた事ですが、新潟に上陸し、一気に東京を制圧することなどです。)いずれにしろ、半年間、降伏が遅れていたら、今の日本は朝鮮半島と同じ運命になっていたはずです。何処が境かは、ともかくとして北と南に分断されていたはずです。ここで言いたいのは、これが共産主義の軍隊であると言いたいのです。油断も隙もないと思える。

 

また、15日の終戦の日を迎える。

 

 

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