横手曹長 8月10日(土)14時51分

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横手曹長 8月10日(土)14時51分

高知の四万十市で、40.7度を観測しました。今日の日は家で静かにしているのが、正解です。

 

先ほど、昼寝中に「横手(田、多、太)曹長」のことを思い出しました。横ははっきりしているのですが、手か、田か、多か、太かが不明です。既に話した叔母は、死んでいるので、聞くことが出来ません。ここでは横手曹長としておきます。

 

 時は、昭和20年頃です。場所は現在の高崎市です。旧群馬郡群馬町です。通称「堤が岡飛行場」と呼んでおりました。わたしが幼い頃、コンクリートの滑走路跡が未だ有りました。

 

 その横手曹長の生まれは、中国地方で、現在の広島か岡山か山口かこの辺りの出身です。家族は親が居なくて、どういう訳かわかりませんが、継母に養育されたということです。この頃は、食糧難の時代で、家庭の収入も現在よりは数分の一で、食べ物にさえ不足していた時代でした。この頃よく聞いた話ですが、母親の無い子供はよく、虐待されたことを聞いております。アニメの「蛍の墓」にもあります。

 

 横手曹長は、この厳しい生活から何とか生活するために軍に入りました。そしてこの航空兵の飛行訓練所、「堤が岡飛行場」に来たのでした。そこでも食糧が乏しく、叔母の家(農家)に来て、何か食べ物は無いかと、貰って食べていました。叔母はそこで横手曹長の生い立ちを聞いたのです。今ではほとんど、食べないですが、芋を吹かしたものをあげると、喜んで食べたということです。

 

何度か来るうちに、横手曹長に出撃の命令が下りました。特攻作戦です。これは一度、群馬県から他の県への移動だったのかもしれません。沖縄作戦としては、群馬県は遠方すぎるからです。

 

その前日、横手曹長が渡す人がいないというので「形見の品」を叔母に渡しました。「そして明日、飛行機で叔母の家の回りを、二回飛ぶので、見てくれ。」と言って帰りました。

翌朝、庭に立っていると飛び立った飛行機が、2回旋回し、ハンカチを振っているのが見えました。そして羽を数回、左右に上げ下げして、去って行きました。

 

これが叔母の話です。考えると、何とも薄幸の人です。生まれながらに、苦労して、およそ人の幸せというものを感じずに、若くして世を去ったのです。

 

今、自分の周囲を見ますと、「こんなもの、まずくて食えるか。」という人に、このことを話してやりたい気持ちです。

 

 

 

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