堅実さんのブログ
人生の目的 25年4月7日(日)22時28分
一度は死んだと思って生きたらよいという。思いだしては考えるが、とても難しい。なにしろ、まだ死んだ経験はないからである。落語ならこれで済むだろう。このことは、そのような事ではなく、これから生きるうえで、これからの余生を一生懸命生きてみろということで言っているのは、なんとなく分かっている。
しかしそれが、いざ実行ということになると、凡人とか小人には難しい。その一生懸命は、一体何に対してなのかである。いきなり言われても、難問を突きつけられたことになる。この究極の人生の目的は、わたしには、わからない。そして今まで、悩んで、悩んできた。けれどもわからない。これは一生わからないだろう。しかし、逆に考えるとわかろうとすること自体が、わからないことへの解答を出すこと自体が、無意味なのかもしれない。あるいは無駄とも言える。
人の生きる目的は、いくら知識を積んだところで、分からないまま、終わってしまうだろう。
例えば、一つの方法で、株式で大金持ちになることが当面の目的だと、思っている人はみん株には沢山いる。そこでその大金持ちが、最終目的かと問えば、答えは「ノー」と帰ってくることは、容易に予想できる。そうすると、またふり出しに戻り、生きる目的は何だろうということになる。これを、幾つか、考えてみると、目的の分からない、無限の世界になってしまう。
しかし、この人は、有限の世界で生きている。方や無限で方や有限である。まるで、勝負にならないのである。有限でもって無限を相手にすることは、それ程、手ごわいのである。勝てる相手ではないのである。
さあ、難しくなってきた。小人の浅はかな智恵で、せめて、10年でも、長生きしようと言うことくらいが、積の山か。今日もがっかり。