権左衛門さんのブログ
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生かされているにすぎない。(まだ、生きていたのか。。。)
日本は、世界有数の自殺者の多さで、近年は、韓国に負けていますが、
年間3万人を超えているのが、8年も続いているとか。。。
その原因として、【うつ病】があるということですが。。。
うつ病になる原因としては、=ストレス=があるとか。。。
バブル崩壊後の日本社会の急激な変容があるということですが。。。???
http://allabout.co.jp/gm/gc/303017/
本当にそうでしょうか。。。。?
ストレスといえば、【インド社会】は、日本に比べられないほどの
ストレスがあると思いますが、=ストレス=をストレスと感じない仕組み、
または、または、社会構造や考え方もあるのではないかと。。。。
また、昔の日本には、そのような物が存在したのに、現在の社会ではそれが
失われたからからなのではないか。。。とも。。。
それは、何か簡単にいえば=宗教=であり、
【死】について考える習慣というか、
【死】に対するまたは、=生きてゆく事=の耐性のようなものを
教えてもらえなかったから。。。ということもあるのだと思います。。。
最近、2チャンネルで、うつ病の対処法として、
いま飲んでいる薬をやめ
(薬をのんで良くなるのであれば。それでいいですが、
却ってそれに、依存するようならば一応、止めてみるという覚悟を持つべきだ!!!)と
規則正しい生活を意識しないで身体が自動的にできるまで続け
その結果、
=考えて行動するのではなく、身体全体で感じて動く=ということをするように。。。
そうすることで、時の流れが身体の中にしみ込んでくると
自分が【生きているのではない】
=生かされているにすぎない!!!=という感覚を身につけられれば
そして、それが、できなければ
歳を経て、【何故、生き続けなければならないのか?】という問いに押しつぶされますよ。。。
と書いたものでありましたが。。。
そんなことは、昔は、普通にできていたことではないのか。。。?
自分の身体でありながら、医者などの人任せにしてしまって顧みない風潮は
何なのか。。。
よく、学校などの卒業式で、
=未来は、自分で切り開いてゆくものだ!!!=的な事を言う人がありますが、
そんなことが本当にできる人は、限られた人で。。。
また、それが、できた人も本当に【自分の力】で切り開いたのか。。。???
ある種、本当に無責任な言動で、どれだけの人が人生を狂わされ
【自分の人生の失敗・躓き】は、
=自分の努力が足りないからだ!!!=と思い込んでいることでしょうか。。。
海外の多くの国は、とくに宗教が支配しているところでは、
【自分の未来は、神が決めてくれること】であり、
失敗しても、なんら自分に責任はない。。。という。。。
また、人生に成功した人の多くが、その原因として【運が良かったから。。。】言っているのは
いったい何を意味しているのか。。。
しかし、日本では、若い時は、または、周りがみんなそんな感じで
=頑張って、頑張って!!!=といわれると
【生かされている。。。】というような感覚は、敗北者、または、怠け者の様な
かんじがして。。。
私は、主に、如何に効率よく【怠ける事、休むこと】ができるためには、なにが必要なのかと
昔は、よく考えた物でありました。。。
(よく=力を抜け、自然体で生きていけ=と言われますが
なかなか難しいもので。。。)
それというのも、【空回り】の連続で、結果何物も生み出すことができないのに
さらに、それは、努力、頑張りが足りないため。。。という感じが
なかなか身体から取り去ることができなかった。。。
どうすれば、スムーズに【動くことと休む】事を切り替える事が出来るのか。。。
と考えた結果が、=漂う=という感覚だったのですが。。。
これも、何に漂うのかということで
始めは【呼吸のリズム】であり、その次は=時の流れ=であり
そして、【気の波動】であつたのでありますが。。。
この=気の波動=を常につかみ、それに漂うというためには
【一日一生】的な、朝目覚め時に、=自然とまだ、生きていたのか。。。=感じられる
日々の過ごし方が必要であり、
それは、頭でわかっていてもなかなか、何かシンドイヨウナ気がしてできなかったのですが。。。。
今回の南インドの旅で、=時間は、過去から未来へ向かっているのでなく=
【過去の同じようなことの繰り返しにしか過ぎない。。。】という感覚で生きている
社会の雰囲気を身体全体で感じることで、少しばかりヒントを掴むことが出来たような。。。???
しかし、それがある程度出来てくると、自分が限りなくなって行く事で
今度は、【自分は、何処に行ってしまうのか。。。】
自分という意識がなくなってしまうと、たとえ出来ても
達成感、感激は、ないのでは。。。???というような
問題が発生して。。。。
あと、少しの様な気もしますが。。。なかなか。。。
一枚目の写真は、デカン高原南西部の町バンガロールの
ハンピの遺跡であります。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%94_%28%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%29
もう、住む人もない寺院が、広大な領域に点在しています。。。
戦いに負けて廃墟となった遺跡でありながら、現在も使われている物もあり
従来の遺跡と少しばかり違う感じのするところでありました。。。
しぶといというか、負けても本質的には何も変わっていない。。。というか。。。
二枚目は、そこを流れる川にある布だけを張った船。。。
観光用ということで、乗ってみましたが降りたところに、
ここには、【ワニがあります】という看板が。。。
本当に、自然がありすぎる所で。。。
三枚目は、川のそばのレストランで食事を終えて帰る道
出会った葬式の団体。。。
花火をあげたり、賑やかな音楽をかなでたりして
レストランの近くの川で火葬にして、川に流すのでしょう。。。。
年間3万人を超えているのが、8年も続いているとか。。。
その原因として、【うつ病】があるということですが。。。
うつ病になる原因としては、=ストレス=があるとか。。。
バブル崩壊後の日本社会の急激な変容があるということですが。。。???
http://allabout.co.jp/gm/gc/303017/
本当にそうでしょうか。。。。?
ストレスといえば、【インド社会】は、日本に比べられないほどの
ストレスがあると思いますが、=ストレス=をストレスと感じない仕組み、
または、または、社会構造や考え方もあるのではないかと。。。。
また、昔の日本には、そのような物が存在したのに、現在の社会ではそれが
失われたからからなのではないか。。。とも。。。
それは、何か簡単にいえば=宗教=であり、
【死】について考える習慣というか、
【死】に対するまたは、=生きてゆく事=の耐性のようなものを
教えてもらえなかったから。。。ということもあるのだと思います。。。
最近、2チャンネルで、うつ病の対処法として、
いま飲んでいる薬をやめ
(薬をのんで良くなるのであれば。それでいいですが、
却ってそれに、依存するようならば一応、止めてみるという覚悟を持つべきだ!!!)と
規則正しい生活を意識しないで身体が自動的にできるまで続け
その結果、
=考えて行動するのではなく、身体全体で感じて動く=ということをするように。。。
そうすることで、時の流れが身体の中にしみ込んでくると
自分が【生きているのではない】
=生かされているにすぎない!!!=という感覚を身につけられれば
そして、それが、できなければ
歳を経て、【何故、生き続けなければならないのか?】という問いに押しつぶされますよ。。。
と書いたものでありましたが。。。
そんなことは、昔は、普通にできていたことではないのか。。。?
自分の身体でありながら、医者などの人任せにしてしまって顧みない風潮は
何なのか。。。
よく、学校などの卒業式で、
=未来は、自分で切り開いてゆくものだ!!!=的な事を言う人がありますが、
そんなことが本当にできる人は、限られた人で。。。
また、それが、できた人も本当に【自分の力】で切り開いたのか。。。???
ある種、本当に無責任な言動で、どれだけの人が人生を狂わされ
【自分の人生の失敗・躓き】は、
=自分の努力が足りないからだ!!!=と思い込んでいることでしょうか。。。
海外の多くの国は、とくに宗教が支配しているところでは、
【自分の未来は、神が決めてくれること】であり、
失敗しても、なんら自分に責任はない。。。という。。。
また、人生に成功した人の多くが、その原因として【運が良かったから。。。】言っているのは
いったい何を意味しているのか。。。
しかし、日本では、若い時は、または、周りがみんなそんな感じで
=頑張って、頑張って!!!=といわれると
【生かされている。。。】というような感覚は、敗北者、または、怠け者の様な
かんじがして。。。
私は、主に、如何に効率よく【怠ける事、休むこと】ができるためには、なにが必要なのかと
昔は、よく考えた物でありました。。。
(よく=力を抜け、自然体で生きていけ=と言われますが
なかなか難しいもので。。。)
それというのも、【空回り】の連続で、結果何物も生み出すことができないのに
さらに、それは、努力、頑張りが足りないため。。。という感じが
なかなか身体から取り去ることができなかった。。。
どうすれば、スムーズに【動くことと休む】事を切り替える事が出来るのか。。。
と考えた結果が、=漂う=という感覚だったのですが。。。
これも、何に漂うのかということで
始めは【呼吸のリズム】であり、その次は=時の流れ=であり
そして、【気の波動】であつたのでありますが。。。
この=気の波動=を常につかみ、それに漂うというためには
【一日一生】的な、朝目覚め時に、=自然とまだ、生きていたのか。。。=感じられる
日々の過ごし方が必要であり、
それは、頭でわかっていてもなかなか、何かシンドイヨウナ気がしてできなかったのですが。。。。
今回の南インドの旅で、=時間は、過去から未来へ向かっているのでなく=
【過去の同じようなことの繰り返しにしか過ぎない。。。】という感覚で生きている
社会の雰囲気を身体全体で感じることで、少しばかりヒントを掴むことが出来たような。。。???
しかし、それがある程度出来てくると、自分が限りなくなって行く事で
今度は、【自分は、何処に行ってしまうのか。。。】
自分という意識がなくなってしまうと、たとえ出来ても
達成感、感激は、ないのでは。。。???というような
問題が発生して。。。。
あと、少しの様な気もしますが。。。なかなか。。。
一枚目の写真は、デカン高原南西部の町バンガロールの
ハンピの遺跡であります。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%94_%28%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%29
もう、住む人もない寺院が、広大な領域に点在しています。。。
戦いに負けて廃墟となった遺跡でありながら、現在も使われている物もあり
従来の遺跡と少しばかり違う感じのするところでありました。。。
しぶといというか、負けても本質的には何も変わっていない。。。というか。。。
二枚目は、そこを流れる川にある布だけを張った船。。。
観光用ということで、乗ってみましたが降りたところに、
ここには、【ワニがあります】という看板が。。。
本当に、自然がありすぎる所で。。。
三枚目は、川のそばのレストランで食事を終えて帰る道
出会った葬式の団体。。。
花火をあげたり、賑やかな音楽をかなでたりして
レストランの近くの川で火葬にして、川に流すのでしょう。。。。
日本では、優しい人こそ自殺してしまい、生活保護でぬくぬくと生きている人間は能天気にパチンコや競馬に明け暮れています。
ちまり・・・優秀な人間がだんだん少なく、だらしのない義務も果たさない人間が生き抜き、日本人全体の素質が下落していきます。
過度な福祉は人間を駄目にし、生きている意味さえ失ってしまう人間がいます。
インドのように、ある意味”Let it be"のほうが自然の摂理に合ってよいのかもしれません。
インドのように貧しい人が圧倒的に多い国では、路上生活者でも最低限生きられるように、道路に小学校にある協同水道場みたいな設備があり、また横道には男性用のトイレも完備しています。(コルカタの場合)
リキシャーの運転手は、路上に寝て、朝おきると協同水道上で顔を洗い、身を清めて、トイレで用を足す。
そして、リキシャーとして働き、稼ぎで食べていく。稼げない時には食べらりないこともある。
こういう最低限の生活ができる。
日本も生活保護世帯には、最低限の生活を与えればよいだけなのに、何故か年金生活者よりも障害者年金受給者よりも、良い生活をしているという変な世界です。
おはようございます。。。
午前3時から近くの神社まで、カッパを着込んで初詣をしてきました。。。
三が日は、お神酒がおいているので、三杯ほど飲んできましたが、今まで
怠けいたので後半足が痛くなって、歩くようになってしまいました。。。
(T.T)。。。
暖かい部屋にこもっていると、【寒いところ】へ出て行くのは勇気・踏ん切りがいるもので。。。
それと同じような感じで
本当に困っている人は、必要なのでしょうが、そうでもないような人が
本当に最近は多くなってきて、民主党政権でその数は、最大になってきたようですが。。。
権利ばかり主張し、【義務】は、顧みる事もない人が増え、弱音を吐き、不平不満をいいつのり、泣き言を言ったほうが、=いい暮らしが出来る!!!=という
傾向は、直していかなければ、早晩、国が崩壊していくでしょうね。。。
それというのも、
【人に優しいこと】が奨励され、
困っていたならば助けるのがいい人だ!!!という教えというか
雰囲気が、いつのまにか、【充満】している現代の日本にとって、
=本当の優しさ=とは何なのか。。。ということを考える事もなく
通りいっぺんの優しさを振りまくことで、【いい人】と見てくれる。。。という【偽善】がまかり通っているからなのでしょうか。。。?
人の気に入らないことは言わない事で、済んでいられた時代はそうでもいいですが、もう、この頃は、そうもいかなくなったようで。。。
とくに2チャンネルでは、在日朝鮮人や生活保護者のスレがたてば、
=非難ごうごうで。。。=
人としての【誇り】というものがないのか!!!という感じのコメントが多いですね。。。
このような事になったのは、
戦後民主主義のせいだ、または、
日教組のせいだ!!!とか、はたまた、
当たり障りのない責任逃れの政治をしてきた自民党に責任があるとか。。。
そのどれもが言えることではあるのでしょうが、
根本には、第二次世界大戦の敗戦から、
=自分の国を守る=事さえ右翼・軍事化と行ってはばからなかった世の中の
世間一般の人たちの姿勢があるのでしょう。。。
しんどいこと・つらいことには、目をそむけ出来るだけ楽な生き方を
その場その場だけを対処する生き方をしてきた
【ツケ】がここにきて噴出してきているのでしょう。。。
それでも、書かれているように
【貧しかった】ならば、日々の生活を追われて、泣き言等を行っていられない!!!
また、=ゆたかになりたい!!!=等という夢と希が
持てますが、ある程度全般的に、そんなに貧しくなくなってきたがゆえに
【目標】が見つからない!!!という面があるのかもしれません。。。?
この傾向は、日本は特にこの頃は、顕著になってきましたが、
世界的な物なのかもしれません。。。?
生活の豊かさを目的にするのではなく
書かれているように=自然に生きる=という事を目標とするべき時代になってきたのかもしれません。。。
もっとも、それが、【生活の豊かさ】よりも、素晴らしいものだ!!!ということが、誰にでも感じられる様な姿、方法というか、やり方が求められているのかもしれません。。。?
冬の寒い時期に、少し朝早く起きて、運動することで
【一日に弾みが出てくるような】習慣を身につければ
人の何倍もの楽しい経験を重ねていける。。。というような。。。
または、今までの宗教や哲学では、これからの時代には、通用しなくなってきているのかもしれません。。。
遥か先の天国とか地獄をあげて、天国に行きたいのならば
今をまじめに生きろ!!!等という教えは、多くの人の耳に届かないのでは。。。
あるのかないのか分からない遥か先のことよりも
【今】をどう生きれば、=より充実した生き方=が出来るのか。。。という
ほうが現実的なのでは、、、と
こんばんは。ごぶさたしています。
>【貧しかった】ならば、日々の生活を追われて、泣き言等を行っていられない!!!
また、=ゆたかになりたい!!!=等という夢と希が
持てますが、ある程度全般的に、そんなに貧しくなくなってきたがゆえに
【目標】が見つからない!!!という面があるのかもしれません。。。?
鬱になる方の原因も、いろいろなんだと思いますが、そういう場合も多いのかも
しれませんね・・・。
ご自分も体調が悪い時に親御さんの介護があり、ご主人がリストラされ、お子さんが非行に走る・・・(テレビで観ました)
3つ以上大変なことが起こった場合は対処できずにウツになる場合も多いとか。
昔の人だったら、こういうのも超えていけたのでしょうか。。。
戦争中とか、鬱病はあったのかしら。
昔、祖父を戦争中亡くした祖母が、「生きるために必死だった」
「着物をお米に替えるために苦労した」話を思い出しました。
おばあちゃんは、本当に精神的に強い女性でした。
おはようございます。。。
今は、農繁期で、朝早くから夜遅くまで体力の限界に挑戦!という状況です。
先日
大峯山寺へいってきました。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA
大変なところでした。
また、農繁期が過ぎたころにアップしようかと思いますが
世の中が大変な時は
【うつ病】等言うことがあったとしても、=誰も構ってくれなかった=かも
しれません。。。?
まさしく、=生き残る!=事で必死で、
精神的に強いというよりも、【強い弱い】等と考えている暇なかったのだと思います。
その点、現在は、=弱い、疲れている、大変なんだ!=と言えば助けてくれるような制度があるようで。。
それは、それでいいですが、
本来の【生存力】を自分で、削っているような気もします。
大峰山寺に登ってきて感じたことは、まだまだ、人間には、限りない可能性
が眠っている!という感じでしょうか。
昔の人は、政府等というものは、頼りにならなかったので
この可能性という物を、絞り出さなければ仕方がなかったのでしょうが。
権左衛門さん
初めて、お便りします。
主旨が違っていたら、ごめんなさい。
アポロは弱い人間で、責任に押しつぶされて、鬱になりました。
数年間、施設で、もがきましたが、
禁煙と同じで何が原因でなおったか 良くわかりませんが
今は この空間と楽しい時間を味わってます。
人はストレス無いと生きていけませんが、ありすぎると
おかしくなりますよね!
今の若者は、我々の時代以上 厳しいですが
たくましく、乗り越えている気がします。
絶対 また 日が昇りますよね!
日本が最高、富士山が最高です。
おはようございます。。。
大体、3時ごろに起きて、禅をして、朝マラソン
(10キロを目指すが。。。(T-T)。。。)
風呂に入り、少し本を読み仕事。。。
食事は、朝を多く、昼飯を腹八分ン目
夕食は、出来れば食べないで、6時から10ごろまで本を読む。。。
そして、5時間か6時間寝て。
と言うようなプランを規則正しく、意識しなくでも出来るようになりたいと思いながらも
不測の事態が起こるともうメチャクチャになってしまいます。。。
なかなか、規則正しい生活と言うのは、言うが易いが難しいものであります
その点、療養施設等では、わりとそれが出来るのが身体や精神にいいのだと思います。
どうしても、社会に出ていると、そして、
社会の一員で有るならば【責任】と言うものが付いてきますが、とくに、今の若者は【ゆとり】とか言って、あまり=責任、義務=等と言うものは考えたり
思ったりしないようで、何時も自分の時間で自由に生きていくことが、いいのだと教えられているような感じで。
それは、それでいい生き方なのでしょうが。。。
【責任や義務】と言うもので、自分を縛り、駆り立てて、毎日を
=メリハリのある、記憶に残る一日にして行こう!!!=とするのもいい生き方だと思うのですが。。。
確かに、書かれているように、過剰であると、または、過剰に感じすぎると
鬱になる人も多いようで。。。
色んなその様な症状になる人は、一応に、【優しい】のだと思います
=人に対しても、そして、自分に対しても。=
弱いというよりも、優しいと表現する方が有っていると思うのは、
色んな所を旅して、色んな本を読んだりして、一応に、
【強い】と言う人は、=自分や人に対して無頓着=だから出来る事ではないかと。。。そんな気がします。。
未来は、誰も分かりません。。。。。。
それを、優しい人は、=判ろう、知ろうとします=
しかし、いくら努力しても誰も明日の事等わからない。。。
だから、強い人は、=判ろうとしない!!!=
ある種出たとこ勝負、無責任、成るようにしかならない!!!と覚悟を決める!!!
といいますか。。。
(これは、【ゆとり】とは、かなり感覚がちがうとおもいますが。。)
別の言い方をすれば、自分や他人、そして、世界を覆っている【運命や神の意志?】と言うものにすべをゆだるねるしかない。。。と
この感覚を得られたならばかなり、【強く】成ることができるような気がします。
しかし、優しい人は、中々そうはいっても、=委ね切る、自分を捨てきる=という事が出来ないもので。。。
だから、その方法として、まず規則正しい生活をすることで=時の流れに身を任す=という事をすることで効果が出てくるのではないかと。。
もつとも、宗教でいうならば、書かれているように
日本では、=富士信仰=のように素晴らしい物を崇拝することで、その力を頂くという感性というか、感覚と言うのが自然とあるようで。。。
これは、西洋などでは宗教等ではないという人もいますが、私は、立派な宗教だと思います。
ただ、西洋は、または、ほかの国は、=日本ほど自然に恵まれて美しくない!!=と言うところが有るのだと思います。。
少し旅に海外に行って戻ってくると、【日本の異様な美しさ】と言うものに今さらながら驚く物が有ります。
この【力を頂く】という事は、昔は、普通に教えられたのですが。。。
最近は、あまり言われないような気がします。
力が無い、弱い、優しすぎるのならば、=力を頂けばよい!!!=むしろそんな人ほど、自分と言う物を分かっている人であるから、結果、大成するのではないか。。。この頃そんな気がしています。。。
その反対に、【強い人】は、=あまりに自分や他人に無頓着=だから、
いったん、躓くともろい面が有るのでは。。。
【強い人】であっても、どうしても=力を頂く=という感覚を身につけないと
中々人生を全うさせるのは、難しいような気がしています。
Happy Valentine!
また、楽しい旅の話でも聞かせてくださいね。
チョコレートありがとうございます。。
こんなのには、まったく縁のない人生で。。。
(T-T)。。。
まあ、それもいいか。。。とこの頃は思ってしまいます。。
暖かい感覚よりも
=突き刺すような寒さの中にこそ、生きている!!!=と
感じるのだと、ある種
自己弁護、自己欺瞞、または、
所詮、初めから生きている世界が違いすぎる。。。と
ついてくる犬よおまえも宿なしか 種田山頭火
http://banyahaiku.at.webry.info/200611/article_11.html
現実の世の中で
居場所が無いという事を分かっているから、
何処まで行っても、何処へ行っても【宿なし】何でしょうね。。。
旅に憑かれ、旅なによりも大事に感じるものは
多かれ少なかれ【宿なし】。。。なんでしょうね。。。
でも、山のあなたの空遠く。。。ではないですが、
山のあなたになほ遠く
「幸」(さいはひ)住むと人のいふ。
さらなる先に、まだ見たことも無い世界があるのではないか。。。
そこには、自分の【居場所がある!】と。。。
そんな思いが、どうしても消えないのでしょうね。。。
中には、=ついてくる犬=のようなすべてを受け入れてくれる人に
出会えるのかもしれませんが。。。
また、【受け入れてくれた。。。】という事を素直に信じられないから
【宿なし】と言えるのかもしれません。。。ね。。。
まあ、大概の人は、そんな事はいつの間にか考えも思いもしないのでが。。。
nyajyaraさんは、何処となく【宿なし】の感じが。。。
ただ、私と違う事は、
【人をある程度信じている、生きているという事に意味がある!】と
少しは、感じているという事なのかもしれません。。。
違ったら、すみません
m(_ _)m ペコッ
私は、この頃は、そんな物は、欠片も無くなってきましたね。。。
生きている事自体=幻だ!=
すべてが、【夢の中で、生き続ける事に何一つ意味が無い!!!
または、今ここに生きていると感じてる事は、錯覚だ!!!】と感じる
または、思いこもうとしています。。。
そうすることで、却って
新たなる【世界】が開けていくような感じがして。。。
または、新たなる=生き方が見えてくるような。。。=
何一つ、こだわらない事で
【宿なし】という事も=別にどうでもいい事だと!!!=
自然に思えるようになってきたような。。。
人と同じような生き方をする必要など欠片も無いのだと!!!
一瞬一瞬を
【狂ったように笑いながら、
時の流れに乗り
時の力を借りて
遥か先を見つめながら
目を見開き
歯をむき出しかみしめて
地を踏みしめ踊り狂って生きていく!!!】
一瞬後の自分は、まったく別の自分で有り
一瞬前の自分は、幻の中の自分。。。
という感じで。。。
団塊の世代のアポロです、会社人生の後半は、鬱で
施設に入り、苦しみましたが、責任を下したとたん
植木のすーだらぶしで、復活しました。
人間 限られた人生を 自分の為 人の為に
使いたいですよね
まだ 会社人間ですけど ここでも 楽しく 皆さんと
交流したいですね!
(。´・ω`・。)ノ∞---∞---オバンデス---∞---∞。。。
もう、朝に近いか。。。
訪問有り難うございます。
今日は、夕方から草を刈ってきました。
今年は、特に暑くて熱中症を気にしながらの作業ですが、この頃は、だいぶ
=涼しくなってきました。。。=
ありがたいものであります。。。
体中汗だらけなりながらも、【夕焼け】を見ながらすごせる時間は
非常に貴重な感じがしています。。。
グラウンディングですか。。。
グラウンディング(またはグラウディング)とは「地に足つけてしっかりと現実を生きる」ことをいいます。また、目的達成や集中力、「今、ここに居る」という意味もあります。
スピリチュアルの世界を現実世界に反映することができなければ、ただの妄想と絵空事の世界で終わってしまいます。
思い描いたことを具現化する、それが「グラウンディング」です。それにはブレない意思と強い行動力が必要になります。
大地をしっかり踏みしめてジャンプするからこそ、高く空に舞い上がることができるのです。
だからグラウンディングはスピリチュアルに生きる人こそ、非常に大事な要素となります。
「スピリチュアルに生きること=現実を生きること」なんです。
http://www.broadline.co.jp/coco/grounding.htm
なるほど。。。
グラウンディングというのは、知らなかったですね。。。
しかし、【気】の取り込み方と少し似ているところがありますね。。。
もっとも、気は、天からの力も取りこむのですが。。。
また、「生まれ星」というかんかくもあり、天からいつも生まれた時出現した
星に見つめられ、勇気づけられている!という感覚もあったりして。。。
これを体系づけたのが、九星気学というのもありますね。
占いというのも、馬鹿にする人やいいことだけは信用するのだという人もいますが、私的な感覚では、【インドでは特に言われますが、人生は繰り返しの連続に過ぎない!だから、その流れ、法則を捕まえる方法、感覚】であるという気がしています。
これを少しでも感じることができれば、
相場では、かなり強い武器になります。
要するに、何よりも大事な=今のトレンドは、上なのか、下なのか、それともヨコヨコなのか=ということが感じられるようになる!!!とでもいいますか。。。
ということが。。。
スピリチュアルに生きること=現実を生きること。。。
この【現実】というのがむずしいですよね・・・
目の前の 成すべきことを 熱心に成せ
要するに書かれているように、【自然体】でいることが何よりも
肝心だと思いますが、=自然体=とは、何なのか、一体どういう生活態度なのかと。。
希望は持たない!http://shuchi.php.co.jp/article/119
《 現在を楽しめ、できるだけ少なく未来を信頼せよ 》
と言うのです。あまり未来を考えず(未来に期待せず、また未来を思い悩まず)、現在をしっかりと生きよ。ホラティウスはそうわれわれに助言してくれています。
という人もいますが。。。
ただ、私の感じるには、これでは=現実に今を生きるには、無理なような気がします=。。。
何が、一番いけないかと言うと、
=現在を楽しめ、できるだけ少なく未来を信頼せよ =と意識している感覚と言いますか。。
意識する、認識していることで、ワンテンポずれるといいますか、どうしてもタイミングが遅れる!!!
=今意識した時点で、今は、もう過去になっているのだから、考えるのではなく
感じて条件反射的に反応しなければならないような気がします。=
これの具体例としては、下の話がありますが
http://www.shokoji.net/25-2dendouban.html
以前は、【さとりを殺す斧】だったのですが、だいぶ柔らかくなりました。
しかし、ここで書かれている【無心】になるためには、どうしても
【臍下丹田(せいかたんでん)】を中心に動き、感じ、考えることができなければなかなか難しいと思います。。。
もっとも、これを身につけるには、かなりの時間と書かれている
【何事のおはしますかはしらねども かたじけなさに涙こぼるる 】
という感覚は、必要な気がします。。。
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/jinjawoshiru/jinjawosiru.html
俗に言われる、感謝とか、生かされている。。。ということなのかもしれませんが。。
言葉に書くと、ものすごく陳腐になってしまいます。。。
(´д`、)ウウウ。。。
おはようございます。。。
いつも、楽しい動画?を拝見させてもらっています。。。
最近、漸く涼しくなってきました。。
今年の夏は、非常に蒸し暑かった。。。と過去にしたいのですが
まだまだ、残暑は、厳しいでしょうね。。。
【植木のすーだらぶし】ですか。
いいですね。
今の人は、知らないかもしれませんが、
それとも、今の多くの人は、本当に【鬱】になるほど仕事に打ち込まない
または、打ち込まなくてもいいのかもしれませんが。。。
その経験がある人が、本当に=植木のすーだらぶし=を救いと
感じるのかもしれません。。。
本当のゆとりとは、=死に物狂いで生きた!!!=という感覚の先にあるものだと
思いますが、このごろは、それを考えて、
また、即なことをかっこ悪い、ダサいと逃げて先に
言い訳的に【ゆとり】と言っているような気がして仕方がないです。。。
あまり、テレビを見ないのですが、今日何気に
テレビをつけていると、【プロフェショナル】というのがやっていました。
最近、UFJのパリーポッタが人気がありますが、それを仕掛けた人の
人柄とか、考え方、半生を紹介していましたね。。
ハリポタ効果、USJ過去最高133万人 8月来園者
http://www.asahi.com/articles/ASG914JHRG91PLFA004.html
東京のディスニーに押されて、いま一つの所であり、最近は
じり貧だったようで、存亡をかけた物だったようで。。。
それを、任された人は、失敗すると大変なことになることは、分かっていながら
むしろ、それを【楽しんでいる!!!】という感じが強くしたものでありました。
人生の分岐点に至る時、取るべきと道は、
=より険しい、難しい道を選ぶべきだ!!!=
過去のそうではない道を選んだために、今も残る【後悔の念】の出来事も
放送していましたね。
この人もある程度の年齢を重ね、何が人生で一番大切なのか!ということを
身をもって悟ったから、今回の成功があるのだと思います。。。
確かにまずは、【自立・自己の確立】だとおもいます。
しかし、その次は、その確立した=自己を疑う、再検証する=段階になってくるのではないかと思います。
それを、うまくあらわしているのか
十牛図と言われるもので
http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_46.htm
これは、中々とっつきにくいものがありますが、禅の事だけでなく
成長過程全般に言えるような気がします。。。
なぜ、【自己を疑う、再検証する】必要が出てくるのか。。。
それは、=自力の限界、または、体力、気力の限界=というものを知り
それでも、何かを成し遂げたいと思うならば
【他力本願】という事を会得しなければならなくなるとでもいいますか。。。
または、自分の力では、到底できないことも、
【人の力】を借りることで予想以上の事が出きる!!!
という事を知るとでも。。。
別の言い方をするならば、
自分がいるその場の【空気の質】を感知して
=その空気を自分の好む物に変えていく方法=とでもいいますか
(今風にいえば、空気を読み、空気を変え、空気を作り出していく!!!と言えるかもしれません。。。)
その中で、【タイミング】という感覚が出てくるのですが、
=空気の変わり目=を感じ取り、その空気の波の力(他力)で
自力だけでは見えなかった先が見えて来て
【先を見通して行動するという事が出来るようになる!!!】と。。。
なんか、余計にわけのわからないようなことを書いてしまいました。。。
すみません。。。
プロフェショナルの前に、城島さんの24時間のマラソンのハイライトシーンをやっていましたが、長いこと生き残っている芸能人は、この感覚が優れている!!!
と感じましたね。
もう、歩けないというような状況なのに、時間内でゴールに入れるのとそうでないのとの効果の違いというのは、体の芯から知っているからこそ
【時間内でゴール】することが、声援してくれた人達に対する恩返し!だという
思いの強さとでもいいますか。。。
私も若いときは【他力、他力本願】というのは、ある種胡散臭く感じるものがあったりするものです。
しかし、これを少しでも身につけると、かなり
【楽でスムーズに事が進んでいくことに驚くこと】があると思います。
ちなみに、私の場合は、地面と空の間に
【漂う】という感じでしょうか。。。
権左衛門さん 今晩は~。
私の日記に 色々コメント頂きまして ありがとうございました。
あれから 風邪を引いたのか 体調悪くなり 今回復して参りました。
権左衛門さんの日記を読みますと 私が 考えても居なかったような事が つづられてまして わかる所 解かりずらくて飛ばし読みした所があります。
今より もっと若いとき 「ひろさちや」さんの本を 買って読んでた事がありました。
その中で 感銘を受けた言葉がありましたが・・・。
人が迷うって事で・・・。
迷うのは 判断は どちらにしても良い事です。
例えば 身内や親戚のお葬式に出ないといけない場合 悩まないでしょう。
悩んで どっちにしようって 考えるのは どっちにいっても いい事なんです。
これは しっかり覚えています。
判断する時 決めやすくなりますね。
では・・・お邪魔致しました。
訪問有り難うございます。。。
人は、物ごころつく前は、【自然】なんだと思いますが。。。
年を経るごとに、色んなことを知ることで【自然】ではいられなくるような感じがします。。。
其れが、【文化・文明】というものであり、地域の風土・歴史・人間関係等で
好むと好まざるとにかかわらず、【色付けされる!!!】といいますか。。。
だから、何かを一生懸命考えていて結論を出した!と思っても、その文化・文明の
枠を超えた物は、出すのは難しいのだと思います。
または、その枠を超えた答えを出したとしても、其れは、【社会に受け入れられない!!!】という事になるのでしょう
だから、
=悩んで どっちにしようって 考えるのは
どっちにいっても いい事なんです。=とは、いまの時代の日本だから言えること。。。という事も言えるのだと思います。。。
それで、別段何の支障もなく過ぎていくのであれば、それは、それでその人にとっては、正しいことなのでしょう。。。
ひろさちや
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hiroikikata.htm
↑の所、哲学の先生をしていたという事で。。。
飢えたロバがいました。腹をペコペコにすかしていたのですが、幸運にも
乾し草の山を見つけました。だが、2つの乾し草の山を見つけたのです。
それは不幸なことでした。
ロバは「どちらを食べればよいかの?」と迷ってしまったのです。
どちらを食べてもいいのだから、ちっとも迷う必要はない、と思うかも
しれませんが、それは大きな間違いです。
迷いというものの本質は、迷う必要がないから迷うのです。
ロバは最初、右の乾し草がおいしそうだと思ってそちらに歩いて行くのですが、
途中で左の方がうまそうだと考えて、それで左に行きます。しかし、左に向かって
歩いているうちに、やはり右の方がいいと思い直して再び右に引き返す。
すると、こんどは左の方がうまそうに思える。それで左に向かう。
そうしているうちに、とうとうロバは翌日、2つの乾し草の中間で飢え死にをした。
そういうオチがついている話です。愚かなロバです。
しかし、わたしたちは、このロバを嗤(わら)えません。
わたしたち自身、このロバと同じ迷いを迷っているからです。
どちらを食べても同じなのに、だからちっとも迷う必要がないのに、
それを迷いに迷って苦しんでいます。それが人間なんです。
(別の言い方をすれば、どちらにも決められない、決めたくないという事を選択しているという事で、迷っている!!!とは、別であり、決断を保留している。。。
という事も出来るのではないかと思います。。。)
↑の所でロバの話をしていますが。。。
【迷いというものの本質は、迷う必要がないから迷うのです。】
哲学という物は、何故、迷う必要がないのかという事を
=総花的に、すべての物の価値を同じ様な感じで解説します=
そして、どれをやっても、たいして変わりがないと。。。
まあ、これで、満足、心安らかになれるのであればそれはそれいで良いでしょう。。。が。。。
しかし、現実的には
【迷う必要もある迷い、または、どう考えても分からないからこそ迷う】
という物もあり、其れから逃れるために、この人は
=迷っているなら、サイコロで
決めなさい。=と書いているようで。。。
(結局は、哲学では決められないので、運、または、神に決めてもらえと言っている。。とも、取れるのではないかと。。。)
すべての事が、大した違いはないと思っているからこそ言える言葉だと思います。。。
だから、【般若心経】もその感覚でとらえているようで。。。
間違いではないですが、正しくはないと思います。。。
本来 =般若心経=は、般若という知恵を体得するものであり
其れを体得ではなく理解する物とは、すこし違うと思います。。。
すなわち、これが真言です。「わかった、わかった、ほとけのこころ。
すっかりわかった、ほとけのこころ。
ほとけさま、ありがとう」
こんな訳は、始めて見ますね。。。
そして、インドの宗教が中国語に翻訳されて日本に来ていますが
それでも、=意味よりも音の響きを大事にしている=という事は、知っている
思いますが。。。?
現在に分かりやすく書いているのでしょうが。。。?
http://www.mishimaga.com/kodai-syakyo/016.html
別のたとえで言いますと、相場で株を売りにするのか、買いにするのか。。。
迷い、決められず
どちらでもいい!!!
どっちにしても、相場は上げたり下げたりするので同じことだ!!!となると
儲けられる時もありますが、大変な損をする時もあります。。。
損をするのも得をするのも【運次第だ!!!】で満足できるのならばそれは、それで良いでしょう。。。
しかし、そうでないならば、
【今のトレンドの、上なのか下なのか、それともヨコヨコなのか】という事を最低限把握しなければならない!!!という事に気がつくのではないでしょうか。。。
このトレンドという物を無視したり、軽視したり、または、重要視し過ぎると、相場では【生き残れない!!!】となります。。。
(そうならないために、学び過ぎるのも考えもので
哲学と良く似て、あまりにも色んなやり方を学ぶのは、却って、迷いを深めることにもなります。。。)
現実社会でも同じようなことが言えるのではないかと思います。。。
一つの価値観に縛られると、それ以外の物が見えなくなる。。。
そして、縛られない!!!となると
今度は、【価値観に縛られない!!!という価値観に縛られている】のに
気がつかない。。。という事にもなります。。。
仏教のいう八正道とか、中道というのは、
頭で考えるのではなく、実践して体得するものだと思います。。。
まあ、これを解決するために【戒律とか、行とか、真言とか、印】とか
色んな実践の方法がありますが、現在は、どれも、いま一つの感じになって
きています。。。
だから、=これからの人生には楽しい事がいっぱい待っています=と思いこむことは、一つの方法かもしれません。。。???
しかし、【楽しいことがいっぱいの未来】とは。。。。
運が良ければそのような人生を送れるかもしれませんが。。。???
いつも投資や生き方を迷っている私にとって、ロバのお話は痛烈で、とても勉強になりました。
迷いの世界が輪廻のように思えました。。。。
笑いは、いいですよね。。。
【辛いことも、悲しいことも、嫌なことも。。。。】
すべて笑い飛ばしていければ、どれだけ、生きてい行くのが楽になれるか。。。
それに反して、常に
【不平不満、世の中の嫌なことや駄目なことを探して、悦になっている人達】もいます。。。
そしてまた、【自分が当事者にならないで汚れること疲れることを嫌い、第三者的な立場を維持して】
何かしら=高尚な生活、精神を維持している=気分にいる人達もいます。。。
まあ、これは、日本が海外に比べて
【平和ボケ】でも暮らしていける環境にあるからできることなのかもしれません。。。?
海外に出かけると、毎日食べられないことなんで、本当に当たり前で、
また、何時災難に合って命を落とすという事も当たり前な感じで。。。
確かに【ロバの話し】は、一見、何か虚をつかれたような話ですが。。。
少し引いて考えれば、=どちらを食べて迷うのであるならば、両方食べればいいことであり、迷ったからと言って翌日に飢死て。。。おかしな話であります=
最近、このような感じの話しが増えました。。。
結局のところ、哲学などと言っていますが、
哲学とは【考え悩むことを、愛する!!!】という事だと思いますが?
=迷う事を否定する、拒否することが良いこと=というような哲学とは。。。
今の世の中の常なのでしょうか、、、
=考えることは、誰かがやってくれてる。いくら考えても考えなくても大した違いはない。。。=とでも言っているような感じで。。。
其れが受け歓迎されるとは。。。大変な時代だと思います。。。
たとえ、悩んで迷って考え尽くしてウロウロして
結局は、結果は一緒だったとしても、
【一生懸命考えた、迷った!!!】という経験は、身体に残るという事は、
其れから先の人生で如何に有効な事、自信につながっていくのかという事を、知らない、気にしないからこそ言えるような気がします。。。
もつとも、=悩むことを楽しんだり、ポーズになっていたりしたらなんにならないのですが。。。=
まあ、昨日よりも今日、今日よりも明日が良い日であるために
一生懸命生きていこうと思うならば大変です。。。
だからこそ【笑い】という事が非常に重要になってくるのだと思います。
すべての事を考え、迷い、常に自分の頭で考えようという習慣がついてくると、
【決断】とは何か!!!
何かを決めるためには、何がもつとも大切なのか?という事が自然に分かってくると思います。
それは、何かというと。。。
【考え、悩んで、訳が分からなくなるほど考え得た結果、疲れきって、訳が分からなくなり自然に、もうどうでもいい!!!となり、身体のすべての力が抜けきると
【委ねる】という事を自然に体得することができ、=時の流れ、運の流れ=という物がかすかに感じられるようになってくる!!!】とでもいいますか。。。
または、自分は、生きているのではない、生かされているにすぎない!!!という
【諦観(ていかん)】というか
【自暴自棄的な諦め】というか
自分の存在の限界を知ることで、却って、得られる物とでもいいますか。。。
これを常に感じられるようになると、
【決断は、早く、正確になっていくような気がします。。。】
なぜならば、大きな流れの中の自分の位置という物を感じられるから
どう動いたらいいのか決断するのは、そんなに難しくなくなってくるからだと思います。。。
その点、相場で今のトレンドはどちらなのか???
と考え、感じようとすることは、この感覚鍛えるような気がしています。。。
youtube見ました。登るの大変そうですね。
あの辺りは三つの宗教が重なっているそうですね。
高野山と伊勢と修験道。いやあすごい所です。
抱朴子には山に入る時に「臨兵闘者皆陳列前行」と唱えて入ると書かれています。山は恐いそうですからね。
お気を付けなさってくださいね。