かねてより関心のあった事案であり,主要各紙を読み比べてみた。紙面をもっとも大きく割いたのは毎日。「学校の説明/二転三転」と釈明の好い加減さを指摘したのは読売。紙面は小さくとも,原因の本質的な点を指摘したのは産経。
さて生き残った教務主任が保護者宛に出した手紙の文面には,次のようにある。
> 教頭に「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても逃げますか」と聞きました。でも答えは返ってきませんでした。
ところが,優柔不断と解される教頭の態度のその向こう側には,「行政区長」がいたことを,産経は明記している。
> 報告書によると……校舎の裏山の林に2次避難することを目指す同校教頭と,「津波はここまで来ない」として,裏山より低地だが山崩れの心配がない三角地帯への避難を主張する地元の行政区長との間でさまざまなやり取りが交わされた。
「行政区長」は,恐らく教頭よりも年長で,人生経験の豊かな地域の顔役であった可能性は高い。避難方法について横車を押したぐらいだから,学校や地域について熱心な関わりを持ってきた方なのだろう。
がしかし,結果はこのザマである。避難計画の不備などむろん諸要因あっての事態ではあった。がしかし,直接的には「行政区長」が最後の矢を引いてしまったのは,どうも事実のようである。
なお,a 善意,b 豊かな経験,こうしたものに私が猜疑の目を向けるようになって久しい。
なぜなら,
a 底の浅い,独りよがりの純情
b 単に一個人が狭い生活範囲内でのみ馬齢を重ねたことによる単なる記憶の省察無き堆積,およびその絶対視
に過ぎないことが結構散見されるからである。