堅実さんのブログ
日本は運の良い国 23年8月7日(日) 21時38分
政府広報で、北方領土返還運動全国強調月間とあった。歴史を考えれば、日本は運の良い国だと思う。
太平洋戦争が、8月15日で、終結しない場合。日本が降伏せず、その戦争が3カ月か半年長引いた場合を考えた。
昭和20年8月には、ソ連軍はアリューシャン列島を南下していた。そして北方4島まで南下した。戦争が長引けば、ソ連軍は北海道や、その南、東北地方まで、占領したかもしれない。
これは、現在の朝鮮半島が南北に分断されたのと同様の結果になっていたのでは。この意味で、日本は運の良い国である。
ある意味では、奇蹟とも言える結果だったのでは。仮に、北海道がソ連軍に占領されたら、今のロシアは北海道を返還しないだろうし、東北地方なら東北地方を返還しない事は、今の北方領土を日本に返さないのと同じく、説明できる。
この先である。日本は強くロシアに返還を要求すべきである。今の政府は弱腰すぎる。外交がぎくしゃくするのは、覚悟の上で、はっきりと、日本領土を主張し、返還を要求すべきである。
中国漁船の海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた、政府の反応も弱腰である。船長は、裁判の途中で釈放せず、日本の法律できちんと、裁くべき事である。
日本の主権は、外交が多少、難しくなるかもしれないが、裁判もせずに、保釈とは。この結果は中国政府が、尖閣列島は中国のものという傲慢な外交を、助長するものになっている。国家としての安全を保障する問題にも影響してくる。
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ポツダム宣言受諾通告、終戦の詔書の放送タイミングである8/14という「運命の日」は、「運」と言うには些か計算ずくの色が強かった可能性も否めないのではないかと考えています。
いろいろと日本という土地に住んでいる人に酷い事をしていた当時の日本政府(大本営と中央部?)でしたが、馬鹿ではなく、むしろ狡猾でさえありました。
(そのためかどうかはわかりませんが、同等他国と比較して恐ろしく強かった…。)
「勝てない」と判断したときに、その後(負けた後の事)を誰も考えない訳はなく、策を講じるために国内はもとより、海外の外交面においても、連合軍に対してのみならず、東奔西走の調整(調整というよりは通知通達と一方的な合意とり?当時の出撃号令と同じレベルの指示?)を行ったのは想像に難くありません。
個人的見解を言えば、当時も「戦後、アメリカは日本を他国(アジア各国および中国やソビエト)に対する前線基地の要塞国として利用するだろう」という推測は、容易についたのではないかと考えています。
実際に命がかかっていた分だけ、良くも悪くも当時は精神論の流れが残っていて、今よりも有能(?)だった可能性は否めませんけど。
(現在は精神論のかけらもないw とりあえず政治手腕に政治生命ではなく「リアルの命」がかかってるときっと今と真剣度が違いますよね?)
PC88mk2さんへ
有難うございます。
前半の終戦前後の、外交につきましては、知りえる処では、有りませんが、想像しますと、海外に駐在する外交官は、必死の駆け引きを、国運を賭けた、駆け引きをしていたと思う事は、想像できます。生きるか死ぬかの覚悟があったと思われます。この事から、今の外交(国内政治も含めて)は、生き生きとしていないのでは。
こういう言い方は、今の政治屋さんには、失礼かもしれませんが、表面は生きていても、心構えは弱っていると思います。要するに、与党、野党とも、問題に対する真剣さが、感じられません。
この先、おそらく、日本の財政は、破綻すると考えております。ここまで行かないと、国民も、政治屋も、目が覚めないと考えます。
「甘え、甘えの国内風潮」は、一度、とことんまで、落ちないと間が覚めない事が言えるのでは。