私は初給料が8万5千円でした。
その中から夜学の費用を除き、まず一番に母に服をプレゼントしまして。
月に一回ですが食事会を恒例にしてました、今月は焼肉とか、唯一母は
蟹が大好きだったので蟹を大量に買ってお腹一杯になるまでの蟹を食事したりでした
妹が興味深々で必死になって喜んで笑ってました。
姉もこの時とばかりに我侭言って何時もは食べられ無い料理を頼んだり笑顔で
家族が笑顔で食事会を楽しんでました。母には親孝行だから出来る時には行うよ
などと言って月に一回の豪華料理を楽しんでました。
そして、初のボーナスは会社の株を購入して母に預けて配当や優遇で暮らして
ました。「若い頃の苦学は買ってでもするものだと母に言われ続けてました」
そして私が大金を手にした時は甥っ子を大学に入学までは世話をしまして、
「後は自分で行けよ」と意見したのですが奨学金の申請もせず、大学に行ってたので
見事に大学を中退しましたが其処までは私は世話を焼きませんでした。
学校とは学ぶ所です、親に仕送りされて当然の学び方を私はしてませんし
学業は真剣にしないと海外勢には敵わないのです。自律した考慮の基に学校に
行って学ばないと国際経済で生き残れません、パチンコを営む友人の娘さんには
凄く失礼な事をされて、保険会社の創業者の娘さんの我侭の発言には参った。
逆ナンパされたのですが銀座のホステスしてて親の七光りで接客商売してて
私と正反対な接客商売してましたから私をホストと勘違いしてたらしいです。
私の学校の学費は六本木で店長して自分で展開して奨学金として社長が
「君の場合は当然の権利だから」と言われる程に働いて遊ばせる仕事をしてました。
3年前にも六本木で遊びでバイトしましたが年俸600万円で幹部になれと言われ
ましたが、桁が違うのでアルバイトが好いですと自由を選びました。
惜しまれて退職する事になりましたが、何時の間にか私がお客を呼んでたそうです。
近藤雅彦さんはお酒を飲みませんでしたが、チューブは覚えて無いらしく私の前で
お酒を飲んでました、そしてお店は私を用心棒にしてたらしいです。
本物の極道は背筋は真っ直ぐにしてお酒を飲んでました。
妾みたいなのは私に対して「極妻をなめるなよ」など夏目さんみたいな映画用語を
使ってました。笑 本物の学びはこれからの日本です。

