今回はまじめに。
今日も、審判の誤審によりイングランドが敗退した。
2-2の状況で後半突入ならドイツとの試合展開は変わっていたと思う。
が、審判をとやかくいっても仕方ない。
よく言われることで、「審判は神様ではないのだから」。
でも、神はある。
ビデオ判定の記録だ。
どんなに、小さなことも暴き出す(映っている限りだが)。
野球もテニスも完全に、この神を信じ絶対公平性の道を突き進んでいる。
が、果たしてこれでエキサイト・感動する感情が湧いてくるのか疑問である。
なぜ、神の手のマラドーナが揶揄されながらも神話として生き続けるのか?
一方、テニスはチャレンジ権を双方に与え、逆に良い刺激になっている。
この意味を考えたい。
一方、我々の株式市場も、コンピューターによる売買が幅を利かせ、
恐ろしい速さで売買している。
現実ではなく、もはや非仮想空間の中だけ生きている。
我々投資家(投機家?とよくいわれるが)は、現実の中でこのコンピューターに、相手の土俵の上で打ち勝たなくてはいけない。
どうすれば、勝てるか・・・?
神の手を探しながら、感ピューターをフル活用しながら精進の日々である。