もう、最後ですので、こんなもんでご勘弁をお願いします。
通信教育で、入学から卒業させて貰うまで、23年半費やしました。学部は慶応の経済学部です。経済現象をそれなりに学びました。
慶応の通信教育では、当時は毎年、5000人が、入学しております。入学生に対する卒業生の割合は、3から4パーセントです。これが、仕事があって、卒業できるのは、0.1パーセントです。1000人が入学して、卒業できるのは1名です。やはり、仕事をしながらですので、卒業するのは、難しいです。
通信教育も、人生のかなりの部分になります。わたしの人生の大半でした。普通の人が、遊ぶのを出来なかったのは、これが原因です。まあ人生90年ですか。短い一生だからそれで、よいと思っております。人生。短いのだから、いろいろやらずに、何か目標を決めてやる。
独身の時は、仕事が終わってから、テキストを読んでいると、いつの間にか、本の上にうつ伏せで、寝てしまう時もありました。
大雨で、窓を開けておいたので、テキストが水に濡れ、読みずらくなり、テキストを1冊ですが、送ってもらったこともあります。
通信教育と言っても、1年間は通学しなければなりません。これは、通学生が夏休みになる期間を、4回に分けて、宿は旅館に泊まり通学するのです。
授業の前半は、神奈川県の日吉校舎、後半は、港区の三田校舎です。
日吉校舎では体育の授業で、これも前半、後半になりました。
後半はバドミントンを選び、指導してくれるのはバドミントン部でした。私は、どういう訳か、女子学生の指導を受け、仲よくなりました、その時は、まだ、齢は若かったです。
スクーリングの期間、群馬慶友会の人とも、仲よくなりました。各県毎に慶友会があります。
スクーリングの4回が終わり、ここからは、孤独の学習です。レポートを出し、それから、三田の校舎で科目試験です。試験日は土曜日、日曜日です。一回の試験で、確実に単位を取れるように、2科目選びました。
その後、病気が重くなり、中断したり、結婚して子育てで、これも中断しました。
2番目に子供が、小学4年生になった時、子供との遊びを止め、通信教育に戻りました。その時、「お父さん、遊んでくれない。」という言葉には、涙がもれました。
それから、休みの度に、県立図書館通いです。家では学習しずらかったので。この時には、卒論だけが、残りました。
三田の図書館で、卒論の準備をしている時、若い学生が、わたしを見て、小さな声で、何か話している。中年の男が、何で、ここにいるんだろうと思ったのでしょう。そこで、学生証を見せると、若い女子学生が、「すてきですね。仕事が、有りながら勉強するのは。」と言ってくれたのは、嬉しかった。
卒論の期間は、3年間でした。卒論の口頭試問の時、いろいろ言われて、これで、また、出し直しかと思い、吉野家の牛丼を食べましたが。がっかりしていて、味が分かりませんでした。
その後、2か月くらい後で、卒論が認められ、卒業させてもらいました。卒業したと言う感じは、有りませんでした。
卒業式には出ないで、学位記は、郵パックで送られてきました。郵パックの卒業式です。
慶応の先生は、スクーリングの時、テストは、自分の言葉で書きなさいと。何人かの先生に、言われました。これは、自分の考えは、こうだという考えです。これが、慶応で学んだ大切な教えです。
これが今では、みん株のブログにも出ております。自分の考えです。卒論の時のように、情報を集めて、ブログを書いております。しかし、神がなさることでは、ありません。間違いもあります。訂正については、これも、確認できるまで、訂正しません。それが、責任です。
歌詞付き】慶應義塾大学塾歌
https://www.youtube.com/watch?v=gOkcUd2SDCg
この慶応大学の校歌は、時々、聞いております。学問は、ここまでではない。更にその先がある。それは、孤独な事であり、社会との、戦いでもある。この校歌は、そんな、自分を頑張りなさいと、励ましてくれます。歌詞がすばらしいです。この孤独な老人にも、ありがたい歌です。