私はそれまで、プッシュ式電話を開発したり便利な機能を、
電話機に装備したりして携帯電話の礎を築いて、電電公社を
相手に自動車電話を初めて作って、毎月維持費が10万円が
必要な電話でした。しかし、その時代は爆発的に自動車電話を、
装備した自動車が売れていた時代でした。
そして私は人口に対して一台の電話と会議で立案して開発して、
アサヒ電機で自動車電話を売り出しました。
その頃は電話ボックスが街中に並んでました。自動車電話が出来て
携帯電話の試作機を開発して電電公社に納め固定電話の概念を無くし
一人に一台の電話が当たって世界はバブル時代を飾りました。
そして半導体の全盛期で家電や携帯の企画が大当たりしました。
アサヒ電機ではTVゲームを開発してゲームセンターが流行って、
資金を稼ぎ、次いで電話企画に資金を充ててました。
たかが100円でも莫大でした。そして100円ショップをアサヒ電機で、
会議に掛けフランチャイズで卸してました。