堅実さんのブログ
ベンハー(映画、後編)6.1.14 9時47分
この映画ベンハーは、中学1年生の正月に兄と見た映画だ。この映画は特撮とCG画像は無く、全て、そのままで撮影している。改めて、見てみると、よくぞ、ここまで丁寧に作ったものだと思う。
おそらく、映画でこれ以上の作品を作ることは困難だろう。そして、今の私のかつての、職場でのいじめを受けた、恨みをこのように、解決しなさいと言っているようだ。(後編1時間17分)
「映画ベンハーのあらすじ」
ベンハーはメッサーラと旧知の仲。再会後、メッサーラはベンハーに、ローマ帝国にユダヤが服従しろと迫る。ベンハーは断り、2人は仲たがいになる。そして、ローマから新しい司令官が着任した時、ベンハー家の瓦が道路に落ちる。馬が驚き、司令官は馬から落ち、怪我をして、ベンハー一家は捉えられる。
ここで、ベンハーはメッサーラに、単なる事故だと言い、刑を軽くするように頼む。しかし、メッサーラは聞き入れず、重罪となり、ベンハーはガレー船(当時の軍艦)の漕ぎ手(奴隷)にされ、母と妹は投獄される。
やがて、ガレー船と海賊のガレー船の海戦があり、ベンハーを載せた司令官の船は沈む。ここでベンハーは司令官を海から助ける。この海戦はローマ軍の大勝利だった。命の恩人となったベンハーは、司令官の養子となる。
(ここからが、後編)
やがて故郷に帰ったベンハーは、復讐の鬼と化す。4頭の馬がひく戦車レースを知り、そこでメッサーラに戦う事を誓う。戦車での競争で、ベンハーは優勝し、メッサーラはこの競技中に、戦車に曳かれて死亡する。宿敵メッサーラに勝ったベンハーは、それでも心がすっきりしない。復讐したはずなのに、悲しみのどん底である。そして、母、妹がらい病に罹り、死の谷にいることを聞く。ベンハーは、嘆きの底に沈む。そして天を恨む。
こんなベンハーを見て、女の召使いが、ナザレのあの人(キリスト)の話を聞くようにベンハーを説得する。ベンハーが話を聞きに行くと、その時は裁判が終わり、ナザレのあの人は、裁判で死刑になる。ゴルゴダの丘に向かう途中、
ベンハーは、以前、砂漠で水をくれた人だと分かる。今度は、ベンハーがキリストに水をやろうとすると、ローマ兵に、邪魔をされる。(ここは、名場面ですね)
死の谷では母と娘が落胆の中に、突然、世の中が真っ暗となり、嵐と雷鳴が轟く。キリストが磔になり、天が怒っているのと同時に、あの人(キリスト)が、天に説得する。ここで、奇跡が起こる。母、娘のらい病は瞬時で回復し病気が治ってしまう。
磔の刑を見終わったベンハーは、家に帰る。女の召使い、母娘が出迎えてくれる。そしてベンハーは言う。「あの人が亡くなるとき、こう言った。父よ、彼ら全てを許したまえ。彼らは罪を知らないのです。」そしてベンハーは言う。「その声で、頭から怒りが消えていった。」そしてベンハーは母と妹の病が消え、奇跡が起こったことに、気が付く。
そしてベンハーは言う。「もう、恨みは忘れた。」物語全体が壮大で、これはキリストの教えでもある。この映画の副題は「キリストの物語」である。
この映画では、旧約聖書の恐ろしい神から、新約聖書の、愛の神に変身している場面が描かれている。神が怒り狂って、世界を真っ黒な闇にし、嵐を起こしている。それをキリストは、神に自分が全ての人類の罪を背負うから、どうか、罪深き人々に、愛で奇跡を起こしてくれと頼んでいる。神はそれを聞き入れ、ベンハーの母、娘のらい病をたちどころに治している。
ベンハーもそうだが、凡人はこうはいかない。復讐と恨みの塊である。そこであの人のことを思い浮かべ、他者へのいたわりと、愛を、あの人のように行いなさいということになる。これがキリスト教の根幹である。罪深き人々は、日夜この事を忘れず、あの人を、とうして神に祈りをささげている。
しかしこれは教義である。別な価値観を持っている人は沢山いる。最近の世相は、身勝手な自身尊重主義であり、自分さえよければ、全てよしという考えが全面に出されていると感じる。
それを助長しているのが、マスコミではないかと感じる。しかしこれも程度のことである。あまり自身尊重主義が強くなれば、この社会はぎくしゃくしたものになることは間違いない。争いや戦争は無くならない。
Ben-Hur - part3
https://www.youtube.com/watch?v=l9xRFJHqOlQ
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堅実さん2024/1/14 10:54堅実 ですこの始めの戦車レースは、あまりにも出来が良いので、前後20分間ですが、ニューヨークの「メトロポリタン美術館」に、永久保存されているとのことです。
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風車の弥吉さん2024/1/14 17:22こんばんは。なかなかの名解説ですね。思わず引き込まれてしまいました。!(^^)!
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堅実さん2024/1/14 22:26風車の弥吉 さんへ「なかなかの名解説ですね。思わず引き込まれてしまいました。!(^^)! 」ありがとう、ございます。丁寧に書きました。
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tukumodayoさん2024/1/15 03:53堅実さんへ大雨の音に起こされました。確かに名作ですね。小生も何度か観ました。印象に残っているのはエスターの言葉ですね。復讐に心を蝕まれれているベンハーに対して、エスターが言った言葉ですね。(抜粋)私が愛したのはジュダ=ベン・ハーでした。彼はどこへ行ってしまったの。あなたは今や破滅に向っています。悪しき者に、悪しき心で対峙しようとしています。憎しみがあなたを石に変えてしまいました。まるでメッサラになってしまったみたい。私は憎しみが何をできるかをあまりにも多く見てきました。私の父は憎しみで燃え尽きました。でも許しや愛が、憎しみよりも力強く偉大だと若いラビが言うのを聞いたのです。私はそれを信じます。ベンヤミン・ネタニヤフに聞かせてやりたい言葉ですね。ちなみに、ネタニヤフとはヤハウェが与えるとの意味だそうですが、ユダヤ教が存在しなかった方がユダヤ人にとっても良かったのかと疑念すら感じますね。約4000年前は、我が土地だったと言われてもね。パレスチナの方々には迷惑なお話ですからね。このベンハーに続くのがグラディエーターなのでしょうね。この作品も名作だと思いますね。
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堅実さん2024/1/15 11:00tukumodayo さんへ「私が愛したのはジュダ=ベン・ハーでした。彼はどこへ行ってしまったの。あなたは今や破滅に向っています。悪しき者に、悪しき心で対峙しようとしています。憎しみがあなたを石に変えてしまいました。まるでメッサラになってしまったみたい。」ここは、すごいですね。メッサラと言われて、ベンハーは、我にかえったのでしょう。そして、キリストの話を、聞く、気持になったのです。「私は憎しみが何をできるかをあまりにも多く見てきました。私の父は憎しみで燃え尽きました。でも許しや愛が、憎しみよりも力強く偉大だと若いラビが言うのを聞いたのです。私はそれを信じます。」この辺から、この物語の圧巻が、始まりますね。この2人は、結婚するのですが、その場面が、あると、ホームドラマのようになってしまいます。この映画のように、無いのがよいですね。愛と憎しみの物語でもあります。この映画の後半は、このことを、見る人に、つきつめて、おりますね。映画全体としては、前半は憎しみ、後半は、愛に変わりますね。