これも、日本人の心に伝わる、わびしあ、さみしさの代表である。
NHK高校講座を、仕事が終わり、車の中で聞いた。「平家物語」の一節である。当時の思い出も、浮かびあがる。その中に、平 敦盛と熊谷直実の戦いの一部始終があった。
海岸で、平 敦盛(たいら の あつもり)を、打ち取った熊谷直実(埼玉県の熊谷市付近の出身)が、我が子と同じ年頃の、まだ若い青年を殺したことに、悩み苦しみ、最後には出家するのは、何とも涙を誘う。これまでの文学の中では、「平家物語」は、秀作だと思う。
また、映画「無法松の一生」でも、子供が、この「青葉の笛」を歌ってました。
文部省唱歌「青葉の笛」(明治39年)
https://www.youtube.com/watch?v=8UShL2FwUNM
(ウイキより)
平 敦盛(たいら の あつもり)は、平安時代末期の武将。平清盛の弟・経盛の末子。位階は従五位下。官職にはついておらず、無官大夫と称された。
生涯
笛の名手であり、祖父・平忠盛が鳥羽院より賜った『小枝』(または『青葉』)という笛を譲り受ける。
平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平家側が劣勢になると、騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。
敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。
直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。
このことから、直実の出家の志が一段と強くなったという発心譚が語られる。「延慶本」や「鎌倉本」の『平家物語』では、直実が敦盛の笛(または篳篥)を屋島にいる敦盛の父・平経盛の元に送り、直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。
この『平家物語』の名場面は、のちに能『敦盛』、幸若舞『敦盛』、文楽/歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となった。
織田信長の好んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか 」は幸若舞『敦盛』の一節である。