軍歌を聞いていると、時々涙が出る。死ななくてもよい命がなぜ、死んだのかと。映像を幾つか見ている中に、特攻の母、「トメ」さんが、この人だと、特定できた。食堂を営み、隊員がよく食べに来たという。一般の一井の人で、これほど、有名になった人はいない。それは、トメさんが献身的に、特攻隊員のために、食事を用意したからである。
有名な話に隊員が、おれは必ずホタルになって、帰って来ると言って出撃した。その後、「富屋食堂」に隊員が、行った時。一匹のホタルが飛びこんで来た。隊員達は、直立不動になり、「敬礼」をしたという。しばらく、飛び回っていたが、やがて飛んでいった。
こんな自己犠牲をして、国のために命をささげたのに、今の自民党議員のだらしなさは、目に余る。恥を知れ。
カラー化 神風特攻隊 KAMIKAZE 白黒写真をカラーに AIカラー化 海ゆかば
https://www.youtube.com/watch?v=v14sHg1X-Os
(ウイキより)
鳥濱 トメ(とりはま トメ、1902年6月20日 - 1992年4月22日)は、鹿児島県の食堂経営者。
川辺郡知覧町(現在の南九州市知覧町郡104)で「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見た。
また昭和20年に富屋食堂を取り上げた新聞記事にも「おとみさん」という名で掲載されている。
1929年(昭和4年)にトメが27歳の時に富屋食堂を開業。1942年(昭和17年)には知覧町に陸軍知覧飛行場(大刀洗陸軍飛行学校知覧分教場)が完成したのに伴い、富屋食堂は陸軍指定の食堂となった。
以後、多くの飛行隊員がトメのもとを訪れた。1945年(昭和20年)、特攻作戦が始まると、トメも知覧から出撃する特攻機の見送りを続け、隊員がトメに託した手紙を代理で投函したほか、個々の隊員の出撃の様子を自ら綴った手紙を全国の家族のもとへと送り続けた。