ベンハー(映画)後編 5年5月4日(木)20時45分

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ベンハー(映画)後編 5年5月4日(木)20時45分

 ベンハー映画、後編。(副題は、キリストの生涯)。戦車レースでの、場面は、もっとも、危険な撮影である。カーブでは戦車が少し、ドリフトしているようだ。この20分間は、ニューヨークのメトロポリタン美術館に、永久保存されている。


この当時は、CG画像は無く、全てそのままで撮影している。改めて見てみる、よくぞ、ここまで丁寧に作ったものだと思う。おそらく映画でこれ以上の作品を作ることは困難だろう。

 

そして、今の私のかつての、職場でのいじめを受けた、恨みをこのように、解決しなさいと言っているようだ。それは、「全ての恨みを、神にお任せしなさい。」という旧約聖書の教えである。この映画の中でも、老人がベンハーに、恨みは神にお任せしなさい。と言っている。この旧約聖書の神は恐ろしい神でもあり、神に祈れば、神は復讐をしてくれるというものだ。キリストが生まれてから、神は急に優しい神に変身している。

 

ベンハー映画 後編

https://www.youtube.com/watch?v=l9xRFJHqOlQ&t=2210s  

 

「映画ベンハーのあらすじ」

 ベンハーはメッサーラと旧知の仲。再会後、メッサーラはベンハーに、ローマ帝国にユダヤが服従しろと迫る。ベンハーは断り、2人は仲たがいになる。そして、ローマから新しい司令官が着任した時、ベンハー一家の瓦が道路に落ちる。馬が驚き、司令官は馬から落ち怪我をする。ベンハー一家は捉えられる。

 

ここで、ベンハーはメッサーラに、単なる事故だと言い、刑を軽くするように頼む。しかし、メッサーラは聞き入れず、重罪となり、ベンハーはガレー船(当時の軍艦)の漕ぎ手(奴隷)にされ、母と妹は投獄される。


やがて、ガレー船と敵のガレー船の海戦があり、ベンハーを載せた司令官の船は沈む。ここでベンハーは司令官を海から助ける。この海戦はローマ軍の大勝利だった。命の恩人となったベンハーは、司令官の養子となる。

 

故郷に帰ったベンハーは、復讐の鬼と化す。4頭の馬がひく戦車レースを知り、そこでメッサーラに戦う事を誓う。

 

戦車レースでの競争で、ベンハーは優勝し、メッサーラはこの競技中に、戦車に曳かれて死亡する。宿敵メッサーラに勝ったベンハーは、それでも心がすっきりしない。復讐したはずなのに、悲しみのどん底である。そして、母、妹が「らい病」に罹り、死の谷にいることを聞く。ベンハーは、嘆きの底に沈む。そして天を恨む。


 こんなベンハーを見て、召使いが、ナザレのあの人(キリスト)の話を聞くようにベンハーを説得する。ベンハーが話を聞きに行くと、その時は裁判が終わり、ナザレのあの人は、裁判で死刑になる。「悲しみの道」から「ゴルゴダの丘」に向かう途中、ベンハーは、以前、砂漠で水をくれた人だと分かる。ここでベンハーは、イエスに水をやろうとするが、ローマ兵にその水は蹴飛ばされる。

 

 「ゴルゴダの丘」ではイエスが息を引き取る時、「神よ、許したまえ。私を磔にした人はその罪を知らないのです。」その言葉をベンハーは、はっきりと聞く。この瞬間から、ベンハーの恨みは消えていく。しかし、天の神は怒り、世界を嵐と暗闇とする。しかし、そこで、罪の無い人の苦しみを解放することもする。

 

 死の谷では母と娘が落胆の中に、突然、世の中が真っ暗となり、嵐と雷鳴が轟く。キリストが磔になり、天が怒っているのと同時に、あの人(キリスト)が、天に説得する。ここで、奇跡が起こる。母、娘の「らい病」は瞬時で回復し病気が治ってしまう。ここでの神は旧約聖書の神から、新約聖書の神に変わる、両方の性質を、持っている。

 

磔の刑を見終わったベンハーは、家に帰る。召使い、母娘が出迎えてくれる。そしてベンハーは言う。「あの人が亡くなるとき、こう言った。父よ、彼ら全てを許したまえ。彼らは罪を知らないのです。」そしてベンハーは言う。「その声で、わたしの頭から怒りが消えていった。」ベンハーは、家族やベンハーに、神の奇跡が起こったことに、改めて気が付く。そしてベンハーは言う。「もう、恨みは忘れた。」

 

物語全体が壮大で、これはキリストの教えでもある。

 

 この映画では、旧約聖書の恐ろしい神から、新約聖書の、愛の神に変身している場面が描かれている。神が怒り狂って、世界を真っ黒な闇にし、嵐を起こしている。それをキリストは、神に自分が全ての人類の罪を背負うから、どうか、罪深き人々に、愛で奇跡を起こしてくれと頼んでいる。神はそれを聞き入れ、ベンハーの母娘の、らい病をたちどころに治している。

 

 ベンハーもそうだが、凡人はこうはいかない。復讐と恨みの塊である。そこであの人(イエス)のことを思い浮かべ、他者へのいたわりと、愛を、あの人のように行いなさいということになる。これがキリスト教の根幹である。罪深き人々は、日夜この事を忘れず、あの人を、とうして、神に祈りをささげている。

 

 しかしこれは教義である。別な価値観を持っている人は沢山いる。最近の世相は、このうち、自身尊重主義であり、自分さえよければ、全てよしという考えが全面に出されていると感じる。それを助長しているのが、マスコミではないかと感じる。しかしこれも程度のことである。あまり自身尊重主義が強くなれば、この社会は、ぎくしゃくしたものになることは間違いない。争いや戦争は無くならない。


まだ、よく見えませんので、コメントは、ご遠慮願います。返信しません。


 

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