統一教会を考えているうちに、創価学会員は貧しくなることも分かりました。
創価学会というと、外から見ていますが、内部を見ると、支配する側と支配される側に分けられる。
支配する側は、ほんの1パーセントくらいで、残りは支配される側である。支配する側は、創価学会の貴族で、贅沢な暮らしをして蓄財に励んでいる。
支配される側は、その支配する側を支えて、多額の献金をして、ますます貧乏になる。
この安定した組織を維持するために、拝むことを勧め、信者を自己と創価学会の外部に目を向けさせる。
聖教新聞では、内部の矛盾は全く書かない。そしてこの聖教新聞が、マインドコントロール、あるいは洗脳の手段の道具となっている。信者は、聖教新聞を見れば見るほど、自分がマインドコントロールされているか、洗脳されているか、判断がつかなくなる。
ここで、献金に移る。信者は自ら、進んで献金している。それは自らの判断で、献金していると思っている。しかし、これこそ大きな判断の誤りである。自ら判断していると思っているのは、ここにマインドコントロールされていることに、気が付かないからである。あるいは洗脳されていることが、分からないのである。
そもそも、信心と金を上納することは、全く関係もなく関連性もないのである。それを支配する側は、あたかも関係あるような理論を作る。これはインチキ理論である。それは、述べたように、信じることと金を上納することとは、全く関係もなく、関連性もないことから説明できる。
哀れなことに、底辺の信者は、多額のカネを上納すれば、それだけ信心が深いと思い込み、更に、金を巻き上げられるのである。そして幸福感に包まれるのである。これを、外部から見れば、何と不幸な事かと思う。毎年、貧乏が続いている生活である。マインドコントロールや洗脳の怖さが、ここにある。
ここで、ちょっと、気が付いたことですが、政治の世界で、野党がだめだから暮らしがよくならないという事をよく聞く。これは与党の社会への、マインドコントロールと言ったら、言い過ぎだろうか。
考えてみよう。野党は政治を行っていないのである。行っていないのに、何故、野党がだめだからと言えるのか。ここでは、政治を行っている与党が駄目だから、生活がよくならないというのが、正しい言い方ではないか。