ここでは横手曹長としておきます。(横田曹長かもしれません)
昭和20年頃です。場所は現在の高崎市です。旧群馬郡群馬町です。前橋飛行場です。ここは、飛行兵を訓練するための飛行場です。わたしが幼い頃、コンクリートの滑走路跡が未だ有りました。桑畑と、畑の中の滑走路です。
横手曹長の生まれは、中国地方で、現在の広島か岡山か山口かこの辺りの出身です。家族は親がいなくて、どういう訳かわかりませんが、継母に養育されたということです。
この頃は、食糧難の時代で、家庭の収入も現在よりは数分の一で、食べ物にさえ不足していた時代でした。この頃よく聞いた話ですが、母親の無い子供はよく、虐待されたことを聞いております。アニメの「蛍の墓」にもあります。
横手曹長は、この厳しい生活から何とか生活するために軍に入りました。そしてこの航空兵の飛行訓練所、「前橋飛行場」に来たのでした。
そこでも食糧が乏しく、私の親戚の家(農家)に2人くらいで来て、何か食べ物は無いかと、貰って食べていました。私の親戚では、そこで横手曹長の生い立ちを聞いたのです。今ではほとんど、食べないですが、芋を吹かしたものをあげると、喜んで食べたということです。
何度か来るうちに、横手曹長に出撃の命令が下りました。特攻です。これは一度、群馬県から他の県への移動だったのかもしれません。沖縄作戦としては、群馬県は遠方すぎるからです。
その前日、横手曹長が渡す人がいないというので「形見の品」を親戚のおばさんに渡しました。そして「明日、飛行機での家の回りを、二回飛ぶので、見てくれ。」と言って帰りました。
翌朝、庭に立っていると、飛び立った飛行機が、家の周りを2回旋回し、ハンカチを振っているのが見えました。そして羽を数回、左右に上げ下げして、去って行きました。
これが叔母の話です。考えると、何とも薄幸の人です。生まれながらに、苦労して、およそ人の幸せというものを感じずに、若くして世を去ったのです。
今、自分の周囲を見ますと、「こんなもの、まずくて食えるか。」という人に、このことを話してやりたい気持ちです。