これも、淡々と、書こう。そのほうが、良いと思う。命令が出たのである。行かねばならない。
第一電信室 ―最後の通信― Last Communication from Kamikaze
attackers[ENG SUB]
https://www.youtube.com/watch?v=3tXYwgpc1JM
こんなことをしても、日本は負けた。当時の特攻隊員は、学力が優秀な人ばかりだったのである。一般の中から、20倍ともいえる選抜試験に、合格した、今で言えば、年齢は、高校生である。
操縦は、簡単な方法だけ教わる。離陸と着陸。あとは、水平方向か、45度の角度で、突入する方法だけの訓練だった。途中、敵の戦闘機に会えば、まともに、戦うことなど、出来ない。撃ち落されるしかなかった。これが、特攻兵の訓練である。
こんなことをしても、日本は負けた。まともな考えのできない、日本だった。そうさせたのは、誰か。日本軍の上層部の、極めて甘い、考えしかなかった。
これを見ると、涙が出てくる。こんなことをさせたのは、一体誰だ。未来ある、少年、青年の命を奪ったのは、誰だ。
もう、40年も前、私が、鹿屋と知覧に行きましたが、まだ、記念館は、無かった。知覧の公園を、一度、見て回った記憶がある。当時のタクシー運転手も、全く、知らなかった。新婚旅行で、こんな所へ、行くのは、他には、いなかった。