バブル大研究(その2)

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バブル大研究(その2)

第2話 バブルの定義(通常の株価変動との違い)


(1)バブルとは……


それでは、「バブル」とはいったいどんなものなのでしょうか。
 
ウィキペディアは、1986年12月から1991年2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気と付随して起こった社会現象をバブルと定義しています。おそらく政府筋の見解と思われますが、期間は別としても社会現象と位置づけている点で、バブルの一面を表しているものと思われます。


あの有名なバフェット氏は、株式時価総額が名目GDPを超えた時と定義していますが、これをとる人はあまりないようです。学問的には難しい表現が使われていますが、相場が加熱し理屈がつかないほどに高騰するというのが、市場における通念です。


株式投資家目線でのバブルの定義は、本日の末尾をご覧いただくとして、バブル時の株価は、今日流の尺度で表すと、
◇EPS=660円
◇PER=60倍
◇株価=EPS×PER=39,600円
となります。


このときの株価39,000円は、将来EPSが2,000円になると期待して、PERを60倍まで買った結果です。もっともバブル期には、現在のような株価投資理論は、ごく一部の投資家にだけのものでしたから、当時の人たちはバブルとはなにかもわからずに、ただ上がるから買うの繰り返しをしていたのです。


ただ、株価の上昇部分だけではバブルの一面しかみていません。相場のサイクルが異常に上昇し、バブルの頂点(転換点)に近づいたといっているだけです。転換点に近づいても時間をかけて下落して理屈がつく水準に戻れば、通常の相場サイクルとなんら変わりません。
 
株価現象の上昇部分だけみていれば誰でも儲かるし、家族旅行も、ファーストクラスでパリに飛び、三ツ星レストランでの食事も平気です。株をやっていることの幸せを実感できる瞬間が続きます。


ところが、転換点を過ぎた後は悲惨です。なにを買っても損切か塩漬けで、慣れないカラ売りに手を染めてもうまくゆきません。企業収益は急降下し倒産する企業も続出します。気がついたら持ち株は「ボロ株」の山で、評価額も転換点の「半値8掛け2割引き」の水準にまでに落ち込んでいます。政府も社会も、バブル叩きに夢中で、樹海に埋もれた人の面倒を見てくれることはありません。
 

日本では、バブルを後半の社会問題化した部分を指すようです。だから、
「株に手を出してはいけません。危険です!」
「お金は労働の対価です。遊んで儲けようとする仕事は、頭の悪い人がやるもんです」となります。


株で儲けるのがそんなに悪いことなんでしょうか。株で成功するにはそれなりの努力と知識の習得が必要なんですよ!
 
(2)通常の株価変動との違い


株が上がるだけでは大きな問題は発生しません。せいぜい社会主義原理主義者が、株価の上昇についてゆけなくなった層への配慮から、格差社会への不満を論じる程度で、世の中の大勢は株価上昇の景気浮揚の面に焦点が当たります。


ただ、株価上昇が頂点に達し、株価の下落局面に入ってもその範囲が20から30%であれば、いずれは回復するとみて問題になることはありません。株価は上下運動を繰り返し、底値から上昇に転じ天井をつけて下落するサイクルは必然で、通常4年から5年に一度は起こるとされています。この現象は、株式投資のどの教科書にもみられる景気循環理論です。

  
問題は、上昇が異常で株価理論では説明ができなくなるほどの領域に達し、そのうえ下落が通常の下落範囲を超え、回復の見込みが立たな程長期化すると世間が騒ぎ出します。景気は株価の循環に半年から1年程度遅れるとされていますから、当然のことながら、企業は人件費の支出を抑え投資は慎重になり、個人は無駄な出費を抑え冬支度に入ります。


その結果なにが問題になるかといえば、株価の異常な値上がりによって生じた社会のひずみが訴状に上がります。日本のバブルの場合には、物価の上昇は通常の範囲に収まっていましたが、資産価格が異常に高騰したのです。普通のサラリーマンが一生かかってもウサギ小屋にしか住めないという社会問題に発展し政治化しました。そのため、マスコミが中心となって、政府日銀を抱きこんで、資産高騰を抑えようと躍起になりました。


このことは、どれだけ株価が高騰しどれだけ暴落したか、株価の4本値に時価総額とPERを重ねてみるとよくわかります。


◇バブルの株価4本値と時価総額、PER
始値(1983年)…… 8,000円、127兆円、NA
高値(1989年)… 39,000円、611兆円、60倍
安値(2008年)…… 7,000円、250兆円、NA
終値(2012年)…… 9,000円、301兆円、13倍


始値をどこに取るかによって数字も変わってきますが、1983年から89年の7年間(83年は年初から89年は年末までの期間)に、株価も時価総額も約5倍になっています。一方下落時は、最安値まで19年間で株価は82%も下落し、終了まで23年かけ時価総額も50%にまで落ち込んでしまいました。


ただこの時期、現在では当たり前になっている株価理論(株価=EPS×PER)が普及していないため、時価総額以外は公式に認定された数字が見つかりません。そのため、発表されている時価総額から私が独自に計算したものを当てはめています。安値時点のPERは、リーマンショックの影響で時価総額1位のトヨタ自動車ですら赤字決算で、EPSが赤字になるという異常時態で、PERが算出不能となってしまいました。


これでは株価の動きが社会問題化するのは無理もありません。アメリカだったら政権が何回も変わっても不思議ではないほどの暴落であり、その期間も長引きました。日本でも、山一証券の破たんに始まる金融期間の整理統合劇と、不動産と株価の下落から投資していた銀行、不動産会社、建設会社などの倒産が連鎖し、不況が長期にわたり深刻化してゆきました。


賃金も雇用も不安定になり、先行きの夢をなくした国民は、いつになるかわからない春を待つばかりとなりました。政府は不況回復のため公共投資と低所得者層への支援を続けましたが、少子高齢化という難問を抱え、不況回復と膨れ上がった借金の返済への道筋が立たないまま、内閣交代が繰り返されました。


2012年末に政権が民主党から自公連合に移り、新首相となった安倍総理はは3本の柱で経済再生を果たすことを宣言しましたが、中心は財政ではなく金融に重点を置いたのです。アメリカが100年に一度といわれたリーマンショック後の不況を、わずか5年で回復させたバーナンキ議長の政策を取り入れたのです。中央銀行であるFRBが不良債権化した大量の住宅債権を買い上げ、市場にじゃぶじゃぶの資金を供給し金利を引き下げ、住宅部門を中心とした消費の回復と株価の上昇で、経済を成長軌道に乗せることができた政策です。


日本も2013年4月に総裁に就任した黒田氏のもと、「異次元の金融緩和政策」により、ようやく長いバブル不況から抜け出すことができるようになったのです。


(3)為替、原油価格、物価、国際関係など


それではこの期間、株価に影響するとされていたその他の要因はどう動いていたのでしょうか。例によって、バブル株価4本値に為替、原油価格、物価を当てはめてみると次のようになります。


◇バブルの株価4本値と為替、原油価格、物価
始値(1983年)…… 8,000円、237円、31ドル/B、1.9%
高値(1989年)… 39,000円、137円、20ドル/B 2.3%
安値(2008年)…… 7,000円、103円、99ドル/B 1.4%
終値(2012年)…… 9,000円、…80円、87ドル/B 0.0%


為替だけはプラザ合意を控えて円安でしたが、その後の30年間でほぼ一貫して円高で推移しています。この円高で日本の電機産業は、韓国、台湾、中国に市場を奪われ、シャープ、パナソニック、ソニーなどの大手電機が、大幅な赤字決算を余儀なくされました。2012年になって、安倍内閣の円安政策でようやく息を吹き返し、現在は新製品、新市場の開拓に力を入れ復活を果たしています。


原油は、30ドル/バレルから120ドル前後まで大きく変動しましたが、リーマンショックでも大きな下落はなく、株価に与える影響は限定的にとどまりました。


物価は、前半の上昇期には1~2%と安定的に推移しましたが、暴落以後デフレ傾向から1%近辺まで下落しました。2000年初頭には、前年度比マイナスも続き、電話料金、自動車保険料、電気料金といったサービス料金の低下や、米穀の下落が物価押し下げの要因とされています。不動産価格は上下に大きく動きましたが、消費者物価にはほとんど影響がなかったようです。


国際情勢については、1989年にベルリンの壁が壊され、ソ連をはじめとする共産圏諸国が、西側の自由主義経済連合に取り込まれるという歴史に残る変貌がありました。日本のバブル崩壊も、時期を同じくしている点ではなんらかの影響を受けているはずですが、急激な株価の下落やその後の金融機関の破たんに影響を与えたとは思いません。日本にとっては、その後の極端な円高で電気を始めとする輸出産業が、韓国や中国との競争に敗れ、不況を長引かせた点が指摘されています。


(4)ミニバブルいろいろ


大相場の終わりには必ず暴落(弾ける)という下落局面が待っています。これをバブルとするかは、その時の社会情勢によるのでしょうが……。バブルがいつ始まりいつ終わるかは、弾けてその影響の大きさで決まります。後になってみないと分からないのです。


過去の相場で、バブルといわれているのは、1990年の資産バブル、2000年のITバブル、それに2004年の新興市場バブル(ライブドアショック)の3回となりますが、その共通点は、「夢を買った」ということにあります。


いずれの場合も共通している現象は、相場を引っ張る主力株が最安値から10倍以上になっていること、PER、配当利回り、PBRといった物差しでは計れないほど高くなっていることがあげられます。そのためQ値とかPEG指数といったわけの分からない物差しが導入されて、高くなった株価の理論的根拠にしようとします。


1990年の土地バブルでは、不動産価格の上昇が社会悪とみなされ、株の袋叩きに発展しました。まさに典型的なバブルでした。ITバブルの時は、全体の30%ほどのいわゆるIT関連株が大きく化けましたが、それ以外の70%の株は、ほとんどつれ高した程度でした。当時、私の持ち株は90年バブルの時に活躍した資産持ちの中小型株がほとんどで、IT関連銘柄はありません。


連日、光通信、ソフトバンク、それに聞いたこともないようなカタカナ銘柄が、ストップ高を繰り返す中、私の持ち株はツレ高する程度でほとんど動かないのです。いずれ余波が到来すると信じて我慢していましたが、一向に広がらない相場を前にして、ついに光通信、ソフトバンクが暴落し、流れが変わることを祈るようになってしまいました。


願いかなってIT相場は弾けましたが、他の銘柄も一緒に下落し私の持ち株の中には、安値に向かって突き進み倒産するところも出てきてしまいました。ただ、暴騰と暴落する銘柄が一部に偏っていたため、ミニバブルとして後世に語り継がれる程度にとどまりました。
 
2004年に始まり、2006年のライブドアショックで終わった新興市場バブルも、市場が限定され全体に波及しなかった点では、ITバブルと似たような結果になりました。新規に新興市場に上場した銘柄は一気に値を上げ株価は倍になり、これに影響を受けたほとんどの新興市場銘柄が、理由もなく上げ最後に弾けました。


あのホリエモンがM&Aで資産を膨らます際に、発行済み株数を10分割、100分割と増やしてゆき、その際に1株資産が増えるという錯覚で株価を上昇させました。これをまねて、100円の株を100分割し1円にした企業がありましたが、1円は1円で思うように株価は上がらないという結果になりました。あの会社がその後どうなったかわかりませんが、株式投資の奥深さを教えてくれたことは事実です。


(5) 投資家目線のバブル定義は……


以上から私は投資家目線でバブルを定義しました。バブルは弾けること、社会現象になることがが含まれない限りバブルとは言えません。


「バブルとは株価循環の一種であるが、相場が過熱し理屈がつかないほど高騰し、社会問題化することで頂点に達した株価は急激に下落し、回復に長期間を要する株価現象を指す」 
 
このような現象が起きたのは日本では1990年の資産バブルだけで、市場の一部銘柄が異常に上昇し暴落した2000年のITバブルや2006年の新興市場バブルは、暴騰暴落の規模においてはバブルでしたが、社会現象とならなかったためにバブルとは呼べないと思っています。



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