大きな違いがある。
徳川時代は、各藩は富国増強を図った。
(日本の土台は、この300年で作られた。)
李王朝は、そのようなことをしなかった。
李王朝の500年
朝貢外交だけだった。
富国増強という概念はなかった。なぜなら、例外的なものを除いて朝鮮の
脅威は、中国だけだった。
その脅威に朝鮮は、朝貢という政策で500年を過ごした。
中国の顔色を損なうことのないように・・・・・それがこの国に一番大事なことだった。
1年か数年置きなのか、朝鮮の使節は、多くの金品と美女30人を連れて中国を訪問した。
それで外国からの侵略は防げた。
それで朝鮮は、腐敗の500年を過ごすこととなった。
外国の心配がないから、あとは内部抗争の500年だった。
国王は国王で、後継ぎ争い、両班は両班同士で勢力争い
国王と両班のみが支配階級で、後は農、商、工、奴隷の階級制度。
両班の支配土地に富国増強という概念はなかった。
この上層階級は、徹底的な搾取の階級であり、下層民を虫けらぐらいにしかみていなかった。
日本のように明治維新を起こす下地がまったくなかった。
この朝鮮に近代化をもたらしたのは、日本の併合だった。
韓国民からみて許せないこともあるだろうが、日本の併合で良かったという点も多々あると思っている。
長くなるので、今日は、ひとつだけ。
身分制度を解放した。
奴婢という奴隷制度を廃止した。国王を除いてあとは平等にした。
「万民平等」という政策を用いた。