僕は、リャンバン(両班)の長男として生まれた。
1600年台の初頭だ。
ぼくが、ご幼少のころから僕の周りに召使が10人ほどいた。
朝起きると召使が3人ほど横にいた。
服のお召し替えが、彼らの最初の仕事だった。
それから、父上、母上にあいさつにいき、ぼくの朝食が始まる。
10時過ぎくらいから書物・朱子学の勉強だ。
中人の階級の男子がきて、家庭教師がはじまる。
2時過ぎくらいまで勉強だ。
ある日、父上のお供で親戚のリャンバンへ行った。
乗り物は、天台のようなもので、その天台を4人がかりで持つ。
ぼくも子供ながら大人用の天台に乗った。
天台を担ぐ者8人、前後に荷物をもった者3人から4人ほどだった。
通りの村人は、皆、腰をかがめて我々の通り過ぎるのを待っていた。
親戚に着くと、もう宴の始まりだ。
踊りの女の子やらが、わんさか居て、横には太鼓を叩く者やらにぎやかなことだった。
みんなきれいなネエチャンたちだった。
ぼくらの席の近くには、今で言うコンパニオンのネエチャン達がいて、お酒を注いで回っていた。
こんな宴会が1か月で20日ぐらいはあった。
こういう毎日を過ごして、やがて12歳ぐらいになって妻をもらうことになった。
リャンバンは、早婚なのだ。
お相手は、政略相手の娘だ。
・・・・・・・・・・つづく。