爆心地から1.7キロほどに、
その病院はあった。
浦上病院、
時の秋月医師の指導で、
被爆したにも関わらず、
被爆症状は出ていず、
今なおその後の症状は出ていない、
、
秋月医師は89歳で2005年に他界されたが、
43歳の時のその食材を私は作った、
改良に改良を重ね今に至るが、
その時西日本新聞などを取り寄せ、
何んとコンビニの余った食材を、
豚の飼料にした、
、
農家は飼料代が安くなり、
コンビニは残飯処理代がかからなくなる、
係る人々が笑顔で握手をした、
、、、ここまでは良かった、
産まれてきた子豚たちにとんでもないことが起こった、
、
チェルノブイリ原発事故、
名だたるヨーロッパの科学者が集められた、
そのうちの一人の科学者が、
長崎を訪れた、
被爆をしたのに被爆症状が出ない、
後にそのことが私の運命を変えた、
幾多の白血病、
様々な癌、
アレルギーに免疫疾患など、
、
医学が束ででかかっても手招いたそれらが、
どんどん出てくる新薬でさえ、
幾多の命と向き合った、
まだまだ私は戦う、
名も利もいらない、
、
その頃癌で死ぬ人は10人に一人と言われ、
今は、、、二人に一人とも、
大きな病院は何が何でも切ってくる、
一つの手術で400万前後とも、
高額医療の申請で確かに患者は、
月81000円だが、
差額は病院へ流れ、
そして川下に流れる、
、
それがあふれ出し今後どうなるのか、
見えない原爆が、
近い将来落とされる、
いやもう落ちている、
生き残れる人とそうでない人、
私には見える、