火垂るの墓を見て 30年4月19日(木)19時39分

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火垂るの墓を見て 30年4月19日(木)19時39分

 「火垂るの墓」は、今迄、何度か見ている。テレビでも何度か、放送された。子供が小学生の頃、見た記憶がよみがえる。小さい女の子、節子は、次女の小さい頃にそっくりだった。違いと言えば、画面がデジタル化され、画面が鮮明になったことか。

 テレビの録画番組が多すぎて、容量が足りなくて、途中で終わってしまったが、それでも十分だ。私の小さい頃は、戦後であったが、その生活は「火垂るの墓」と、ほとんど、変わらないものだった。


家は農家だったが、社会は食糧難で、とにかく、味はどうでもよいから、収穫量の多い種類を、農林省は研究していた。さつまいもでは、農林何号とかいって、味はとても不味くて、食べると、びしゃびしゃした食感の、黄色のさつまであった。それを、3時のおやつに食べたものだ。


 きゅうりと言えば、今では冬でも食べられるが、当時は夏の食べ物だった。家ではきゅうりを栽培していたが、それを食べるのに、長さが30センチ、直径が10センチになるまで、未だ、早いといって、収穫しなかった。そして、その味も、いまいちだ。

 幼ななじみの友人の父親は、軍隊から帰り、軍隊の鉄兜と、小銃の先に付ける、銃剣を持ち帰った。それを持って遊んだ記憶がある。その父親は農作業に出るときは、軍隊で使用した、ベルト製の「きゃはん」を足に巻いて出かけた。ゲートルとかゲーベルとか言っていたと思う。包帯の厚いものである。


 そんな時代で、トマトなどは、高級品であった。栽培が難しいのである。ただ、茄子は栽培しやすく、家では10本ほど苗があったので、一日に10個くらい採れた。食べるお菓子も無かったので、糠漬けの茄子をまるごと食べた。結構おいしかった。

押し売りがよくきた。「ゴムひもを買ってくれ」というのである。何時まで、たっても帰らない。20分くらい粘っている。ゴムの値段もかなり高くて、今では、1メートル500円くらいか。要するに、形だけ売って、金を奪い取るのである。「俺だって生活できねえからさ。」とか言って粘るのである。


 アイスキャンデー屋が、自転車で鈴を鳴らして売りにきた。それを買って食べた。一つ、5円くらいか。

 午後は紙芝居が自転車で、回ってきた。水飴を一つ5円で売り、紙芝居を見せた。水飴が買えない子は、見せてもらえなかった。子供心に可哀そうだと思った。しかし、どうにもできなかった。


 ご飯と言えば、麦が5割、米が5割であった。今では健康食とされているが、麦が5割だと、びしゃびしゃして、うまいとは思わなかった。


 行商の魚屋が自転車で魚を売りにきた。秋になると秋刀魚が出るが、当時は冷蔵庫が無かったので、秋刀魚を焼くと、はらわたが、解けて、ぼとぼとと炭の上に落ちた。食べると半分、苦い味で、腐りかけの秋刀魚である。


しかし、そんなものだった。今では、寄生虫が問題になっているが、その寄生虫さえ死に絶えたような秋刀魚である。しかし、寄生虫は生きていた。学校の弁当には、秋刀魚の後ろの方がつけられた。弁当には、他は「梅干し」と白菜漬け、沢庵くらいだった。

 農家なので、漬物には困らなかった。沢庵漬け、白菜漬けなどは、冬は毎日食卓に出た。今では植物性乳酸菌で、健康食品であるが、当時はそんな知識は誰にも無かった。


 農作物の肥料は、当時は人糞(じんぷん)が殆どで、これが寄生虫の原因でも、あった。人糞を野菜にかけるので、前橋市でもそれを食べるので、何処の家でも回虫に悩まされた。


 わら半紙と言えば、若い人には、分からないが、紙が不足していたので、稲わらを紙にしたものを使った。茶色で粗悪品である。それに先生がガリ版刷りをして、生徒に配った。


 着ているものといえば、ズボンの、つぎはぎは、当たり前で、誰のズボンもつぎはぎだらけだった。木綿のズボンなので、すぐにすり消えて、穴があく。そんな時代だった。しかし、その頃は、不潔恐怖症など無かった。不潔恐怖症は現代病である。果たして、文明は人々を幸せにしたんだろうか。



 



4件のコメントがあります
  • イメージ
    月影 隼人さん
    2018/4/19 23:07

    火垂るの墓のポスターについてネットで話題になっています

    上空には多分B-29

    白く描かれていたのは、蛍と機銃掃射のようです

    明度を上げた画像をだとはっきり確認できました


  • イメージ

    堅実さん。

    戦後派の小生には、その戦中の暮らしは、いまの北朝鮮に思えます。こんどの経済制裁で相当、凍死者や餓死者がでたみたいです。

    それにくらべて、飽食日本。

    なにかが、おかしいと思うのは、私だけでしょうか。拝

  • イメージ
    堅実さん
    2018/4/20 13:11

    月影隼人 さん


    有難う、御座います。

    そうなんですか。ポスターがですか。


    この米軍からの、機銃掃射ですが、中学の先生が、白いブラウスを着ていた生徒が、白なので目立って、打たれて死んだことを、話しました。


    戦時中、グラマン戦闘機は、低空で、何でも、人がいると、撃ってくる事を聞きました。


    戦争の異常さです。


    私の家の畑にも、焼夷弾が2つ落ちて、おじいさんが、それを、伸ばして、じゅうのう(スコップ)を作りました。

    それは、炭をすくうのに、使っておりました。


    4月20日(金)13時07分






  • イメージ
    堅実さん
    2018/4/20 13:23

    ほんまそうかい さんへ


    「戦後派の小生には、その戦中の暮らしは、いまの北朝鮮に思えます。こんどの経済制裁で相当、凍死者や餓死者がでたみたいです。

    それにくらべて、飽食日本。

    なにかが、おかしいと思うのは、私だけでしょうか。拝」


    北朝鮮の、独裁政治の結果です。


    私の日記の背景には、弛んでいる日本人への警告の意味もあります。

    メタボで悩んでいるなら、北朝鮮に行けば、3か月で、治ってしまうと、よく言っております。これは本当に、すらりとします。


    この弛んでいるのは、テレビによく、現れております。バラエテーの「極楽のこの世」のような、アマチョロイ、言動。


    グルメだなんだの、食べる番組。どうかしていると、思います。

    このつけは、20年後には来ます。今の生活水準は保てないでしょう。落ちぶれた日本です。


    なのに、政治の腐敗ぶり、これで我が国がよい、水準をたもてるはずがないと、考えます。


    4月20日(金) 13時22分






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