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株はバブルに乗って(その2)―投資行動


「大相場はバブルで終わるのか」第8話は、2013年5月10日の日記のコピー(続き)です。

  
 バブルは、株式投資にとっては、一生に1回あるかないかの大儲けのチャンスですが、弾けた後の対応を誤ると地獄行きとなります。


 今回はバブルの荒波に翻弄されたある投資家の実話記録です。

 
4.バブル期の投資行動
 私の株投資は40歳に始まりました。両親からの生前贈与100万円で、三共株4千株を買ったのが最初です。その後は、仕事でえられた情報を生かして、月に一回くらい銘柄の入れ換えをやる程度でした。それでも、バブルが始まる83年ころには、10倍を超えるまでになっていました。


 バブルで経済成長が加速する中、私の投資法も、保有から積極に変わってゆきました。土地持ちで収益力の低いボロ株を、値が動かないうちに買って待ち、動いたときに買い乗せる方法で大儲けしました。ボロ株ほどよくあがり、大型優良株はそれほどでもありません。株は買って持っていれば上がり、資産は毎年倍倍で増加してゆきました。それでも頂点付近では、買いたい銘柄が極端に減って、資金の半分程度は現金で持っていました。


 90年に入り、10%ほどの暴落に見舞われますが、その後は少し戻しまた下げるという形で下げ続け、株価指数で年間40%に達しました。ボロ株の下げは更にきつく、私の株資産は半分にまで減少しました。せっかく天井付近で現金化した資金を、暴落して行くボロ株の難平買いにつぎ込んでしまい、傷口を広げる結果になりました。


 教科書的に考えると、値上がり時に暴落に備えて、現金ポジションを多く持つとか、ヘッジ売りをすることになっていますが、毎日が儲けの連続の中でそんな考えは及びもつきません。仕手株の売りで命をなくした人の話から、カラ売りは性に合いません。


 一度身についたうまい話は、簡単に変えられないものです。弾けた後で冷静に考えると、何であんなボロ株に手を出したのだと思うのですが、その渦中にいると、株価の異常な高騰を、自分で勝手に正当化してしまっていたようです。土地バブルが弾け、金融機関の倒産劇にも、まだ頭の中から土地神話は抜けなかったようです。いずれ回復すると。


 90年代後半のITバブルでは、電気、通信、電子部品などの銘柄に10倍20倍となるものが続出しましたが、土地持ち会社中心の私のところには恩恵が及びません。何とか立ち直りたいと、政府の公共工事拡大に期待をかけて、土地持ち会社から土木建設会社へ持株をシフトしたのですが……。


 駄目なときには、何をやっても裏目に出ます。大きな借金を抱えていたこれらの会社は、金融機関からの支援打ち切りで、相次いで倒産に追い込まれ、私の持株からも3社倒産しました。信用の期日に追いまくられ、損切り資金捻出のために、親に頭を下げ借金しました。 


 02年は、私にとって最悪の年となりました。95年に退職金をつぎ込んで設立した有限会社でも、株式の評価損で大幅な赤字を出す始末。考えることはブルーテント暮らしか樹海行きです。でも、「株をやめてどうして生活するの。南の島で暮らす夢は?」と。


 このころからITの普及で、投資環境も大きく変わりました。ネット利用で手数料が大幅に安くなり、税制の改正で個人にも損失の繰り延べが認められるようになりました。個人も機関投資家と同じ土俵で投資ができるようになったのです。私も証券会社をネット証券に換え、ネットの掲示板で意見交換をし、ケーブルテレビで市場の雰囲気が分かるようになりました。


 悩んでも仕方ありません。バブルの反省から、配当金で生活する株式投資理論を打ち立て実行に移しました。ファンドを設立し、投資資金と生活資金とを明確に分離し、配当取りのポートフォリオで株式を運用することにしたのです。


 それに合わせて資料の整理をし、売買記録、資金収支、配当金、持株数、時価評価額、信用取引結果など、投資を始めてからの記録をすべてコンピューターに保存しました。これで、生涯キャッシュフローが、大幅な受け取りになっていることが明確になりました。バブルのとき、家の改修や子供の養育資金などで儲けの一部を引き出したためですが、持株がただになっているのは、やはりバブルのおかげだと感謝しています。


 持株は買値から5分の1程度になっていましたが、思い切ってほとんどを損切りし、会社も整理し、その資金で高配当の優良株を購入しました。株数は大幅に減りましたが、配当金は増え、小泉改革で持ち株も率先して上昇し、05年には持株の評価額もバブル期の4割ほどに回復したのです。リーマンショックも配当金の落ち込みは軽微で、「株は売ってなんぼ」と、それほど気にしないで乗り切りました。そして今回のアベノミクスで、先が見通せるようになって来たのです。


 以上が私のバブル人生日記です。失敗の原因を一言でいえば、バブルとはどんなものかがよく理解できなかったからです。その教訓は、どのように生かされ実行に移されたのでしょうか。


5.バブルの終焉は本物か
 今回のバブルでは、バブルの知識も経験も乏しく、有効な対策が打ち出されないまま、バブル崩壊後の景気低迷が長引きました。政治も経済も、少子高齢化の下ではデフレ・円高が当たり前で、経済成長ゼロ下での株価低迷はやむをえないとする空気が支配するようになりました。


 それにしても、バブル崩壊から23年間も不況を引きずっているのは、通常の国ではありえないはずです。その流れを変えたのが政権交代です。2012年末に行われた総選挙で、自民党の安倍総裁は、経済再生を選挙公約として、バーナンキFRB議長が取り入れた金融政策を日本に導入しました。


 金融政策、財政出動、成長戦略を3本の柱とするアベノミクスで経済の再生を図りました。これにより、23年間続いたバブル崩壊後の不況は、ようやく終わりを告げようとしています。


 その原因として、
◇日銀の異次元の金融緩和により、デフレを脱却し、2%程度のインフレ目標を設定する。政府も日銀もこの目標を共通認識としてあらゆる手段をとる


◇金融緩和の手段として、国債、ETFなどのリスク商品を日銀が買い上げる。株価アレルギーが解消し、株価を経済力の指数と考えるようになる
ことが根本にあります。


 なによりも、不況がバブル崩壊の結果であり、その対策として株価を上げることに注目したことが大きいと思います。デフレ脱却は、まだ期待の段階ですが、時間とともにはっきりしてくるでしょう。


 チャートからは、89年の39,000円と07年の18,300円とを結んだ線を完全に上抜けているところから、今後11,000円を下回らない限り、バブルの終焉を告げています。


6.何故4年内に20,000円なのか
 私は早い時期から、安倍内閣の4年間に、20,000円になるという期待を抱いておりました。

 
 安倍内閣が経済再生を果たす手段として、株価を使うようにしたということです。株価は国の経済力のシンボルです。バブル崩壊の後始末にこれだけの時間が掛かったのは、株価が回復しなかったからです。


 バブルは株価循環なのに、今までの政府、日銀は、社会問題として捉え、経済理論で再生しようとしたのです。バブルの後始末には、株価をバブル崩壊直前の水準にまで戻すのが一番なのですが。


 それを安倍総理、黒田総裁とも、よくご存知のはずです。円安政策は周辺諸国との摩擦で限界がありますが、株価をいくら上げても、少なくとも外国から文句は出ません。政府は、参議院選挙と消費税値上げが確定するまでは、株価を上げようと手を打ってきます。これを理解できないと、現在の相場には付いてゆけません。


 この続きはまた明日。




2件のコメントがあります
  • イメージ
    888ちこさん
    2017/1/2 16:30

    あけましておめでとうございます。


    ブログを拝見して、勉強させていただきました。

    ありがとうございます。



  • イメージ
    yuhsanさん
    2017/1/2 17:46
    888ちこさん
    あけましておめでとうございます。
    私も、いつも888ちこさんのブログ拝見して勉強しています。
    アメリカの相場にお詳しいんですね。
    私もニューヨークにはよく行っていましたが、だんだんいけなくなってしまいました。ありがとうございました。
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