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株はバブルに乗って(その1)―儲けるには


 「大相場はバブルで終わるのか」第6話は、2013年5月10日の日記のコピーです。

  
 13年は、アベノミクスの初年度でしたが、早くも大相場を予感し、あの昭和バブルを総括しました。今読み返してみても、相場の位置や方向は変わっていません。アベノミクスは一巡し、今は二巡目に入っていると考えれば、今後の相場の姿が見えてくるのではと思っています。


 チマチマした2016年でしたが、2017年は「バブル」になるのでしょうか。


 バブルは、株式投資にとっては、一生に1回あるかないかの大儲けのチャンスですが、弾けた後の対応を誤ると地獄行きとなります。また、バブルの頂点付近から投資を始めた人にとっては、始めからタイタニック号に乗ってしまうようなものです。まさに株式投資の明暗を凝縮したのがバブルです。


 バブルは景気循環の株価サイクル(底値期、上昇期、天井期、下降期)の大型のものと見ることもできますが、違いは「弾ける」ことです。「バブルは弾けてみないと分からない」というのはここから来ています。風船に空気を入れてゆくと、ある時点で弾けますが、適当のところで止めるか、空気を抜いてやれば破裂しません。


 限界以上に株価が上がると弾けてしまうのです。限界に達する前に空気を抜けば、通常の株価サイクルで納まり、このくらいの株価の変動は、5年に1回くらいは普通です。資本主義である以上、景気と株価の循環は必ず起きます。


 バブルの功罪については、各方面からの意見が出されていますが、バブルで大きく儲け、損をした投資家の立場でバブルを論じたものは少ないようです。バブル崩壊から四半世紀、この時代に遭遇した人もだんだんと少なくなってきました。


 バブルを始めから悪者扱いにしないで、投資家としてもう一度「バブルの本質を理解し、大いに儲けよう」という視点でバブルを見直してみたいと思います。


 「バブルは怖いから近寄るな」では、株式投資をするなと同じです。株式投資の目的は儲けることです。バブルは、またとないチャンスなのです。この機会を利用して最大限に儲け、それを冬の時代に備えるのが、バブルに臨む株式投資です。バブルを知らない人たちの意見をいくら聞いても、これからの投資環境にはあまり役に立ちません。


 前置きが長くなりましたが、それでは本論に入りましょう。


1.バブルの株価4本値
始値…… 8,000円(1983年)
高値… 39,000円(1989年)
安値…… 7,000円(2007年)
終値…… 9,000円(2012年)


 4本値にすべてが凝縮され、同時に疑問も生じます。バブルの開始から終焉まで、なんと30年もかかっているのです。前半の天国の期間は7年間、転換点を過ぎて地獄の期間が23年間におよびました。この間を日本では「失われた20年」と名づけ、バブルの影の部分を印象付けました。


2.バブルを演出し弾けさせたのは誰か

 バブルはいつから始まったのでしょうか。プラザ合意のあった85年が有力ですが、私は株価が対前年度で2桁の伸び続けるようになった83年、株価8,000円をスタートとします。


 以後株価は、2桁の伸びで上昇し、87年には20,000円を超え、89年末には歴史的な39,000円を付けて弾けました。きっかけは、89年12月に日銀総裁に就任した三重野氏の、大幅な公定歩合の引き上げにあるというのが定説です。ただ、私は株価のバブルを作り、それを弾けさせたのは外国人だと思っています。


 89年のバブル最盛期に、日経平均採用の品薄株はストップ高を繰り返し、説明できないほどの高値にありました。当時の日本人は、この根拠のない値上がりにすっかり浮かれ、バブルを謳歌していたのです。


 ところが、裏でこの値上がりを作っていた外国人がいました。彼らは少ない資金で品薄株を動かすことで日経平均を引き上げ、一方で大量に日経平均先物を売っていたのです。やがて運命の日が来ます。


 90年になると、彼らは抱えていた品薄株を一斉に売り出し、現物株の下落で先物を動かしました。彼らは、先物のヘッジで莫大な利益を上げ、この仕組みを知らない日本の投資家たちは、呆然と暴落を見ているだけでした。こうしてバブルが弾け、日本はその後20年間長い不況に苦しむことになります。


3.バブル前後で社会はどう変わったか
 80年代後半バブルの最盛期には、六本木、銀座、赤坂などの夜の盛り場は大盛況でした。日本中に札束が乱舞し、皆大金持ちになったような気分で遊びに夢中になったのです。夜の銀座ではホステスに腕を取られたサラリーマンが、タクシー待ちの長い列を作り、近距離客の乗車拒否が当たりまえの風景が毎晩のように見られました。


 お金持ちは土地を、余裕のあるサラリーマンは株を、中小企業の経営者はゴルフの会員権を、ちょっと決断するだけで億という金が飛び込んできました。私のようなしがないサラリーマンでも、知見と資金を株に投資し、大きな成果を上げることができたのです。


 株は買って持っていれば、誰でも簡単に儲かりました。「銀行よさようなら!証券よこんにちは!」のコマーシャルに引かれて、人は証券会社に列をなしたのです。この年の長者番付では土地成金と株成金が上位を占拠し、従来の常連である会社社長はどこにも見当たりません。


 資産バブルは土地の値段をあげ、東京山の手線内の土地を売れば、アメリカ全土が買えるとさえいわれました。ゴルフの会員権でも億ゴルフが続出、小金井ゴルフ場は10億円出しても買えません。


 「星影のワルツ」で紅白歌合戦に選ばれた千昌夫は、本業の歌でなく土地と株で財を成し、歌う不動産王と呼ばれました。ホノルルのホテルは、全部彼のものになるとのうわさもありました。10億20億は当たり前、100億もっていないと金持ちといわれないような状況でした。


 学生の就職は絶好調、失業率は低下し、将来への夢が広がりました。「JAPAN AS NO.1」とおだてられ、日本人が日本に誇りを持った時期でもあります。日本が一番輝いたときではなかったでしょうか。あの時代はもう来ないのでしょうか。今にして思えば「バブル万歳!」だったのです。

 
 ところが、90年を境にして、経済も、社会も、政治も、国際情勢まで一変しました。


 当時の消費者物価の上昇率は3%を切っており、物価の値上がりが庶民生活を脅かす状況ではありません。資産価格が異常に高騰しただけなのです。それでも、株、土地、ゴルフの会員権は、目の敵にされました。株も土地も持てなかった庶民は、日銀の資産つぶしの政策に、やんやの喝采を送ったのです。


 95年ころまでは株価の大幅な下落はあったものの、公定歩合の引き下げや財政出動などで、景気はいずれ回復するとの楽観論もありましたが、金融機関の相次ぐ破綻と、金融支援を打ち切られたバブル企業の破綻のオンパレードで、景気は底なしに沈んでゆきました。


 千昌夫も2000年には、3,000億円の負債を抱えて倒産。WASPといわれた不動産企業も相次いで姿を消し、ゴルフ会員権は買い手がいなくなり、財政赤字はGDPを超え、失業、就職難、年金と増税に対する不安……、国民は将来に対する夢を失ってしまいました。追い討ちをかけたのがリーマンショックで、株価はついに7,000円を割れ、25年前の水準に逆戻りしてしまったのです。


 何とか生き残った資産家は、ほとんど利息のつかない預金かタンスにしまって、春の到来を待ち続けたのです。


 この続きはまた明日。皆さま、よいお年を!




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