上の写真は「真田丸」の毛利勝永。 元男闘呼組の岡本健一さんが演じておられます。 ちなみに私は最初この人を見たとき、一昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」で主役を演じた岡田准一さんかと思ってしまいました。 なんとなく似てませんか。
この人、苗字は毛利ですけど元々は森勝永という名前で、関ヶ原の西軍総大将の毛利氏と血縁というわけではありません。 それを豊臣秀吉の指示で毛利姓に改めたらしく、以後は毛利家に仕えていくことになります。
関ヶ原の合戦では当然西軍に属し、安国寺恵瓊の配下となって戦わずして敗走。見せ場はありませんでした。 勝永は髪を剃って出家します。
そのまま坊さんとして一生を終えるかと思いきや、1614年豊臣秀頼の招きで大阪城に入城。 豊臣家の譜代家臣ということもあって諸将の信望も厚く、真田幸村、後藤又兵衛、長曾我部盛親、明石全登らと並んで大阪城の5人衆と称されるようにまでなりました。
とはいうものの毛利勝永は、真田幸村や後藤又兵衛たちのように、戦で際立った功績があるわけでもありません。 単に1万石の大名だったから厚遇されたにすぎません。
大河ドラマ「真田丸」では、幸村に「なぜ、あなたは大阪城に来たのか?」と問われ、勝永が
「自分の力を試したかったからだ」
と答えるシーンがあります。
勝永はこれまで、大大名毛利家の一家臣で「はいはいわかりました」と命令に従うだけの立場だったのですが、大阪城では一軍を率いて自分の好きなように采配を振るうことができるようになったのです。 男冥利に尽きるというもの。
しかし、大坂夏の陣では籠城戦だったため、全く活躍はできませんでした。
本来、籠城戦というのは、救援を待つための時間稼ぎの意味合いが大きいので、本編で幸村が言っているように、籠城を主張する淀君の判断は間違いです。
19世紀のプロイセンの兵法家、クラウゼビッツが言うように、城というのはどんなに強固であっても、相手が流血を気にせず惜しげもなく戦力を投入すれば、いつかは必ず陥ちるものなのです。
私だったら、籠城などせずに一目散に徳川家康の首をあげようと思いますけどね。
女性であっても、サッチャーさんのような男顔負けの立派な指導者もおられますが、大阪城の支配者、淀君は単なる「女の子」だったようです。
続く大阪夏の陣では、大阪城の濠が埋められてしまったので籠城は出来ず、討って出るしかありませんでしたが、その方がむしろ毛利勝永にとっては都合がよかったのか、負け戦ながらもまさに水を得た魚のように活躍しました。
天王寺口の戦いにおいて勝永は、本多忠朝、小笠原親子をまず討ち取り、続いて浅野、榊原、秋田、仙谷、諏訪らの諸隊を撃破。 ついに家康の本陣に迫ります。
しかし、主力の真田隊が壊滅したため、善戦むなしく毛利隊も退却を開始。
相手は勝ちに乗じて、かさにかかって攻め込んできますから、退却戦というのはベテランでも相当難しいものです。
ところが勝永は、攻撃してきた藤堂高虎の部隊を押し返して見事退却に成功しました。 次いで襲いかかってきた井伊、細川隊の攻撃も防ぎました。 さすがです。
戦い終わった翌日、毛利勝永は自分を招いてくれた豊臣秀頼の介錯をして、自身も息子とともに腹斬って自刃したそうです。享年37歳。
どんな人生を送ろうとも、人間いつかは死ぬるもの。 たとえ「ハッピーエンド」でなくても、この毛利勝永のようにチカラ一杯、おのれの力を使い切って最期を迎えたいものです。