薄田隼人(すすきだはやと)は、大坂の陣で豊臣方にはせ参じた武将の一人で、薄田兼相(かねすけ)とも呼ばれます。通称は隼人正(はやとのしょう)なので、私は「すすきだはやとのしょう」と呼んでいます。
この人の前半生はほとんど不明で、馬回り衆として秀吉に仕えて5000石。 関が原の役では何をしていたのかよくわからないのですが、1614年の「大坂夏の陣」で、疾風のごとく歴史の表舞台に大登場します。
薄田隼人は幼少のころから剣術に秀でており、厳しい修行の末「鞍馬八流」という必殺技を編み出したそうです。 いわば武芸者ですね。
そういう人物ですから、大名格ではないものの豊臣方の期待も大きく、夏の陣では浪人集を率いて白労ヶ淵砦の守備を任されました。
ところが、なんとこの人、途中で守備を抜け出して遊郭に通い、悪いことにその間に徳川方が攻めてきて、砦はあっけなく落とされてしまいました。
当然、豊臣方の落胆は大きく、味方からは 「橙武者」 とのあざけりをうけてしまいました。
橙(だいだい)というのは、みかんの親戚みたいな果物のことですが、酸味が強く正月飾りにしか使えないことから「見かけ倒し」との意味があるそうです。
現実の薄田隼人はこんな感じでしたが、若いころは武者修行をしていたそうで、いろんな武勇伝があります。 特に有名なのが大阪住吉神社の「ヒヒ退治」の話です。
現在の大阪西淀川区にある住吉神社。 この土地は毎年のように風水害や疫病に苦しめられ、その対策として若い娘を人身御供として神社に差し出す習慣があったそうなのです。
そのときたまたま通りがかった薄田隼人がその話を聞いていわく 「その話はおかしい。神は人を救うもので犠牲にするものではない」 と言って、人身御供の女性の代わりに自らが神社へ出向きました。
人身御供の女性は棺の中に入れられる慣習だったので、薄田隼人も棺の中に入って異変が起きるのをじっと待ちます。
棺に入って待つこと2時間、扉のギイ~ッと開く音がして何者かがすり足で近づいてきます。
「何やら獣の臭い」 そよ風に乗って妙な臭いが漂ってきます。 でも百戦練磨の隼人は、落ち着いて剣に手をかけて臨戦態勢のまま、ジッと待ちます。
足音は少しづつ近づいてきて、ついに棺に手をかけました。
その瞬間、隼人は棺を蹴り上げて、勇躍、外に飛び出しました。 ああ、なんとその正体は・・・
実は神の名をかたっていたのは、人間より一回りも大きい巨大なヒヒでした。
巨大ヒヒは、相手が若い女性ではなかったので、咆哮して後ずさりします。
薄田隼人は、その一瞬のヒヒの怯えを見逃しませんでした。
すかさず隼人必殺の「鞍馬八流」が炸裂!
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翌日、村の人が確認しにいったところ、棺から点々と血の跡が続いていたので、それをたどっていったところ、隣村まで行ったところで、人間の娘を襲うとされる巨大なヒヒが死んでいたそうです。
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「あ~あ~、俺も実力あったんだけどな~」
歴史に名を残すかどうかは、本人の実力もさることながら、運も大きな要素となってくるようです。
「なぜ、あの時遊びにいったのか?」
薄田隼人正は、さぞやあの世で悔やんでいることでしょう。