また今回もつまらない記事を…明日はもう少し面白い記事を書くようにします…
そして29日に安保関連法は施行されたわけですが、この法や政府の安保法制、あるいは憲法改正の議論に賛否を述べるつもりは今のところありません。ただ、菅さんが記者会見で述べた「国民を守るために不可欠」という言葉をそのまま言葉通りに受け取ってこの国の人達が「安全保障」を議論していくのは危険だし、ミスリーディングになってしまうと思ってので、ちょっとだけ書こうと思いました。
まず最初に理解すべきことは、国は「国民」を守る責務がありますが、べつに全ての国民を守る義務があるわけではないということです。もっと言えば、国が国民を守るのは人道主義的な立場からではなく、単に国益と国体を守る上で必要だからです。だから菅さんが言った「国民を守るために不可欠」の「国民」の中に貴方も私も含まれないと考えて、日本国民は国益や国体の護持の観点で安保法制を議論しなければいけません。
更に言うなら、「緊急事態になれば当事者国民は国家から見捨てられる」という前提で安保法制を議論する必要があります。たとえば東京大空襲のとき、政府は混乱を避けるため被災者に「逃げるな」と指導・命令し、生き延びたのはこれを無視した国民でした。広島・長崎に原爆が投下されたときも、周辺への影響の伝播を避けるために、被災者の命は二の次で厳しい統制を行おうとしました。直近では、東日本大震災の時に多くの国民が文字通り「見捨てられた」のは記憶に新しいところです。あれは民主党という未熟な政党政権下での災害だったから、という面も多分にありますが、自民党ならばもっと上手くやったというだけで、基本的には被災者の命は二の次、国益と国体の護持が優先されることには変わりがありません。
となると、安倍首相が記者会見で使った「赤ちゃんを抱いた母親」のイラストパネルは、安保法制を説明する上で適切かどうかは別として、そもそもがミスリーディングだということがわかるでしょう。あの状況で安全保障により護られるべきは赤ちゃんと母親の命ではなく、それ以外の国民の命です。このことを理解した上で、今の安保法制は正しいか、国益と国体を守る上で必要か、あるいは十分か、憲法改正は行われるべきかを議論し、来るべき選挙で一票を投じるようにしなければなりません。