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moroboshidanさんのブログ

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特別編B

先週は、偉人円谷英二を紹介しましたが、もう一人忘れられない「円谷さん」がいます。


それは、1964年、前回の東京オリンピックにおいて、マラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉選手のことです。


円谷選手は1940年に、円谷英二と同じく、現在の福島県須賀川市で生まれました。


この地域には「円谷」という苗字が多く、二人の間に血縁関係はないのだそうです。


1959年に陸上自衛隊に入り、陸上競技で頭角を現します。


19638月に、20000メートルの世界新記録を更新します。その後も好記録を出し、10000メートルのオリンピック代表に選ばれます。


オリンピック開催年となって、最終選考会となる毎日マラソンで君原健二に次いで2位となり、マラソンでもオリンピック代表となります。


10000メートルは1014日に行われ、円谷選手は健闘し6位に入賞します。


これは日本男子の陸上トラック競技では戦後初の入賞でした。


マラソンは1週間後の1021日に行われました。


世間の期待は、君原と持ちタイムNo.1の寺原でしたが、彼ら脱落する中、円谷選手は健闘し、アベベに次いで2番目に国立競技場に戻ってきました。


しかし最後に力尽き、イギリスのヒートリーにトラック内で抜かれてしまいました。


この時、1度も後ろを振りかえることをしなかったことから、「後ろを振り向いていれば抜かれずに済んだのではないか」と非難されました。


が、父の教えは「男は後ろをふりむくな」であり、円谷選手はそれを守りとおしたことがあとで解りました。


円谷選手は、当然のようにその4年後のメキシコオリンピックで金メダルを期待されました。 


何よりもオリンピックに勝つことが大事と、縁談も解消させられ、周囲の期待はエスカレートしました。


しかし、愚直にも期待に応えようとした彼は、オーバーワークにより体を壊し、元のように走れなくなってしまいました。


様々な不運に見舞われた彼は、苦悩の日々を送ることとなり、メキシコオリンピックの年、1968年1月、「疲れきって、もう走れません」という家族への遺書を残し、自らの生命を絶ってしまったのです。


それはまさに、ウルトラセブン本放送で「ウルトラ警備隊西へ」の前編が放送された直後のことでありました。


ウルトラセブン26話に「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」という有名なセリフがあります。


その年の3月31日に放送されたその言葉が、円谷選手を思い出させるのです。


最近、2014年度になって、文科省は勝利至上主義からの脱却を狙い、「大会で勝つことや、競技力を高めることを必ずしも目指さない運動部活動の研究」に着手したそうです。


2020年の東京オリンピックで悲劇を繰り返さないことは大切ですが、あまりにも遅すぎるような気がします。


1964東京オリンピックでの開催国日本の金メダル数は16個で国別順位は3位。


2004アテネオリンピックでの開催国ギリシャの金メダル数は6個で国別順位は15位。


2008北京オリンピックでの開催国中国の金メダル数は51個で国別順位は1位。


2012ロンドンオリンピックでの開催国イギリスの金メダル数は29個で国別順位は3位。


2020年の日本は、いったい何個の金メダルを目標とするのでしょうか?


今年の10月18日には須賀川市で「第33回 円谷幸吉メモリアルマラソン大会」が開催されます。


この大会は市民マラソンの中でも、運営が素晴らしいとの評判です。


市民マラソンは、健康維持のために続けることが大事で、順位とかタイムにこだわるべきでない、と言われています。


今週も、銘柄研究はお休みとします。



2件のコメントがあります
  • イメージ
    カイオワさん
    2015/9/21 00:25

    円谷選手の自殺の話は、いつだったかTVで見ましたけど、あまりに生真面目すぎてノイローゼになってたのでしょうか?


    今はやりのうつ病になる人も、真面目で責任感の強い人がなりやすいみたいですね。自分で自分を追い込んでしまうのでしょうね。

    人間、多少てきとーな部分があったほうがいいように思います。


    ちなみに私も中学のころ陸上(長距離)をやってまして・・いえいえ、速くも何ともないんです。練習は最初の30分だけで、後は校舎の裏のほうでブルースリーごっこをするなどして遊んでいました。(爆)

  • イメージ
    moroboshidanさん
    2015/9/21 07:15

    私はメタボ対策のため、最近ジョギングをしていて、

    円谷幸吉メモリアルマラソンにも出る予定でいます。

    (10kmですが、目標タイムは…内緒です。)


    彼は、走る目的が違ったんだと思います。


    円谷選手の時代、まだ日本はようやく先進国の仲間入りをしたばかり。

    「国家の威信を高める」ことが、国全体の重要事項で、

    おまけに自衛隊出身だったことを考慮すると、

    逃げ道がなかったのでしょうね。


    いずれにせよ、オリンピック陸上競技で、同一大会で2種目に入賞したのは、

    戦後日本でただひとりなのです。

    (戦前は、1932ロサンゼルス大会の 三段跳び金、走り幅跳び銅、4×100mリレー5位 の南部忠平 をはじめ数人がいます)


    合掌





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