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1986年 逆オイルショック

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足元でWTI原油価格が42ドル程度から60ドル台近くまで反発しています。
昨年7月頃より始まった原油安について考えてみた。過去に同じような事例がないか調べてみると1985年にも同じように原油価格が下落している。(逆オイルショック)

詳細はWikipedia先生に任せるとして、、、時系列に同時期に起きた出来事を復習(・_・;)

1978年末   第二次オイルショック
1979年8月 ポール・ボルカー米連邦準備制度理事会理事長に就任。
      インフレ抑制の為の強い金融引き締め
1981年1月 ロナルド・レーガン大統領就任(レーガノミクス)
・ドル高にして輸入コストを下げてインフレ抑制
・大胆な減税で労働意欲を高め、貯蓄と設備投資を促して労働生産性を上げる
→消費意欲が高まり景気は一時的によくなるも経常収支と貿易収支の赤字拡大
「双子の赤字」が産声を上げる・・・・・(~_~;)

1982年8月 メキシコ債務危機。米国が利下げに踏み切る。通貨政策も緩和。

1985年5月 米国の公定歩合が14%に・・・!(´Д`;)
1985年3月 ドル最高値。英、日、独の投資家が高い利回りの新規米国債の50~70%を買っていた                       推測される。1985年~1986年がピーク。英日で3兆ドル相当の米国債務証券を取引。

1985年9月  プラザ合意。ドル高修正に米国が政策転換。プラザ合意前250円程度だったドル円が
      1985年末には1ドル200円以下に。日本は円高不況へ(~_~;)

1985年末~  逆オイルショック。サウジアラビアの原油増産と原油価格下落。

1987年2月  ルーブル合意。ドル安歯止めへ。しかしドル下落(円高)止まらず
1987年10月  ブラックマンデー

補足:米国では1982年~1987年にかけてM&A(企業買収合併)ブームが起きている。インフレにより新規事業を起こすコストより既存の高金利で株価が低迷している企業を買収した方がコストが安くすむ為に起こった、とされる。

過去を振り返ってみて歴史の転換点の1つだったのではないかと思う。(米国の債権国から債務国への転落、日本のバブルの始まり) 特に1985年後半からの相場変動が激しいのが目立つ。また当時、円高不況に対応する為、日銀も基準貸付利率を1985年11月1日5%から1986年4月1日までに3.5%に下げています。

プラザ合意前から逆オイルショックによる原油価格急落が止まった1986年の4月時点のドル円レート、原油価格推移を書き出してみる

ドル円・・・1985年9月1日時点(プラザ合意前)236.91円→1986年4月1日175.56円へ
      →25.8%の円高
WTI原油価格・・・1985年末1バレル31.72ドル→1986年4月10.63ドルへ
      →66%の下落

現在の相場にあてはめてみると、ドル円相場を1ドル120円、WTI原油価格を1バレル60ドルと仮定。わずか半年と少しの間にドル円が90円以下、原油価格が20ドル程度に変動したことになる。
あらためて考えてみると凄い相場変動だったのではないだろうか...(~_~;)

当時の株価(1985年末~1986年初)も調べてみる。円高が直撃して日産自動車、本田技研、小松製作所などの輸出関連企業の株価は低迷している反面、不二家、山崎パン、サッポロホールディングスなどの株価は暴騰しています。当時の記録が古くてあまり詳しくは調べられませんが・・・。
書ききれないことがたくさんあるけれどこれらの銘柄に関してはコモディティ(砂糖、小麦、大麦)などの価格もかかわっているのだと思う。はたしてどれだけの人がこの相場を取れたのだろう・・・?
様々な要因がケース・バイ・ケースで相場の動きに影響を与えていることがよくわかる。過去の出来事からは学ぶことが多くあると思う。投資は奥深い。

※参考文献:「日本経済の記録1」内閣府経済社会総合研究所
 参考文献:「石井独眼流実戦録―かぶと町攻防四十年」首藤宣弘
 参考文献:「ウォール街の歴史」チャールズ・R・ガイスト著
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