(略)
これはつまり、問題を探るあいだは寛容な態度が切に望まれるということだ。
一例を挙げると、量子力学の分野に「観測」の概念がある。
観測者が光子の場所を特定すると、一瞬前には可能性が無限にあった粒子の状態が、
観測によって特定の位置へまとまるというのだ。
観測とはなんなのか?
人間の心は宇宙の物質と相互作用するのだろうか?
これは科学ではまったく解決されていない問題であり、
物理学と神経科学が交わるきわめて重要な場を提供する。
現在、ほとんどの科学者はこの二つの分野は無関係と考えていて、
両者のつながりを深く考察しようとする研究者は、
悲しいことに、たいてい無視されて終わる。
そのような探求を
「量子力学は不可解で、意識も不可解だから、きっと同じものにちがいにない」
というようなことを言って、物笑いの種にする科学者が大勢いる。
この軽蔑的な態度は現場のためにならない。
はっきりさせておきたいのだが、
私は量子力学と意識のあいだに関係があると断言しているのではない。
関係がありうると言っているのであり、
早計な放棄は科学の探究と進歩の精神に反すると主張しているのだ。
(中略)
私は脳がラジオのようなものだ──つまり、私たちはよそからの信号を拾っている受信機であって、
そうするためには神経回路が整っている必要がある──と主張しているのではなくて、
その可能性があることを指摘しているのだ。
現在の科学にはその可能性を排除するものはない。
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★「意識は傍観者である」
デイヴィッド・イーグルマン著 大田直子訳 早川書房 2,400円+税
「第7章 君主制後の世界」P.291~294より抜粋
デイヴィッド・イーグルマンは、ム~民一族な可能性がある。
彼のこのほかの著書に、「脳神経科学者の語る40の死後のものがたり(筑摩書房)」
というのがある。
これは彼の書いた「小説」だ。
序盤を数章読んだのだが、センスの良さに唸ってしまう。
しかも文体は、星新一のようで楽しい。
阿刀田高が読んだら、やっぱり身もだえしながら唸ってしまうと思う。
ところでデイヴィッド・イーグルマンとは真逆で残酷なリアリスト、
なのがオリヴァー・サックスだ。
彼は独りでに聞こえる神の声や脳裏に映し出された光を、
すべて脳器質的な疾患としてかたづけてしまう。
★「見てしまうひとびと~幻覚の脳科学~」早川書房 2,300円+税
ドストエフスキーがてんかんを煩っていたのは有名な話なので仕方がないけれど、
ジャンヌ・ダルクまでそうと決めつけてしまうのは、なんとも夢がない。
新潮社主催の「村上さんのところ」で、村上春樹は言っている。
*あの世は静かであって欲しい。新宿駅前とか、キャバクラとかない方がイイ
*僕はときどき夜中に聞こえるはずのない音楽を聴くことがあります。
『スプートニクの恋人』の中に、ギリシャの島で真夜中にお祭りの音楽が聴こえてきて、
それを探しに行く話が出てきますが、これはほんとうにあったことです。
とても不思議な体験でした。バリ島でも同じような体験をしました。
僕だけにその音楽が聴こえます。
モンゴルで夜中に、個人的な大地震にあったこともあります。他の人は何も感じなかった。
僕は超自然的なことって、個人的にはあまり興味がないんですが、ときどき不思議な目に遭います。
(「不思議なできごとが・・・・・・」の返答から抜粋)
http://www.welluneednt.com/entry/2015/01/30/113800
というわけで、
月刊ムーの三上編集長はじめ、ム~民一族の方、
あの世的な不思議な話に関して、
まったく決着がついていないという事実に、ここはすがろう。
オイラは、この点をテーマの一つに狙って、小説を企んでいるのであった。
PS1:やっぱり、オイラの意識の中には、眷属たちの声が・・・
PS2:村上春樹の意識の中にも、眷属たちがいるようだけれど、
オイラと彼の眷属たちって、実は同じだったっていう可能性があるのかもしれない。
だって、そうじゃないと説明ができないんだって、いろいろ・・・。
PS3:眷属たちは、量子力学でできているのだろうか?