誰しも、若いときの秘めた思い出として、この言葉をお持ちでしょう。
あのときの思い出が胸をよぎるとき、どうしてこんなに早く時が過ぎてゆくのか、改めて深い感慨に沈みます。
それでは……。
株式投資では、投資の成果は時間の函数として表されるように、時間が大きな要因になります。私の投資法でも、年代別に40歳までは「ためる」、60歳までに「ふやす」、退職後は「あそぶ」をモットーにして、手持ちの生涯時間に応じて、投資方法を換えることを提案しています。目的は、「長期の資産形成を通じて老後を豊かに」送れるようにすることです。
年代といっても、20年がひとつのサイクルになっていますから、毎年変える必要もなく、基本は「相場の流れに合わせて、増益企業の株を安値で購入し、長期の資産増加を図れるようなポートフォリオを組んでおく」ことにあります。購入にあたって、秘法といわれるようなチャートはありませんし、銘柄選別に際しても、誰もが入手できる情報をベースとしていますので、秘術はありません。
秘法、秘術はないのですが、20年の間に大きな差が出てくるのです。その差は、ツキだけではないようです。相場のサイクルに乗って、長期の目標を持って、投資する企業の長期成長の成果として、値上がりと配当を受け取るという投資方法にあると思っています。
株式投資にとっては、このように時間の経過を誰しも気にしています。だから誰しも、明日が早く来て、今日の結果の確認をしたいと思います。
「今日よかったら、明日はもっとよくなるだろう」と期待を膨らませ、
「今日悪かったが、明日はよくなるだろう」と慰めます。
だから、時は早く動いて欲しいのです。土日になると、早く月曜日が来て欲しいと思う人が多いのでは。
株式は「時よ止まれ」ではなく、「早く明日になれ」です。
私は、「明日があるさ」は好きな言葉です。それでも、止まれと思ったことが一回あります。
リーマンショックのさなか、日経平均が、7,000円を割ったときです。以下は、2008年10月28日の日記の一部です。ヘッドラインは「時よ止まれ」でした。
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いったい株価はどこまで下がるのでしょうか。「明日のことは誰にも分からない」といってみたところで、ここまでくれば「これが株さ」と、諦めるより仕方ないのかもしれません。
株価は、昨日7,162円の安値をつけて引けました。本日28日の午前中には、よもや割り込むはずがないと思われていた7,000円まで割ってしまいました。39,000円の山を登り返し、1980年の水準にまで戻ってしまったのです。
昨年7月の高値からは、1年間でなんと62%も下落しました。この先いったい、どこまで落ちれば気がすむのでしょうか。
この日の日経CNBC番組によると、著名コメンテーター10人にアンケート調査したところ、1人を除いて9人までが、6~5,000円まで落ちると予想しています。なにしろ、売りの主体がファンドを中心とした外国人であり、それを支えていた投資銀行が潰れてしまったのですから、これから先どうなるのか……。残念ながら、相場の位置とか、PBRを論じても、無意味なのかもしれません。
ところが、前場で7,000円を割った株価は、後場に入ると、たいした材料もないまま戻し、前日比459円高の7,621円で終わったのです。ただ、このまま上昇すると見る向きは少なく、引け後に発表された、長、中、短平均からの乖離率の合計は、マイナス100を超え、騰落レシオも50に接近しています。どう判断しろというのでしょうか……。
明日は見たくない気がします。このまま、「時が止まってほしい!」と願うばかりです。
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この日、89年末の39,000円から19年掛けて下げ続け、1980年以来の7,000円割れとなってしまいました。実に28年間の値上がりが、全部吹っ飛んだ瞬間です。
この日を境にして、株式を長期に保有することのリスクが意識され、個人投資家の9割までが、短期投資に走ってしまう素地を作った記念すべき日といえるでしょう。
時の記念日は、6月10日となっています。天智天皇が日本初の時計の鐘を打った日を記念して定められたそうですが、私にとってはあの日を忘れないためにも、10月28日にしたいところです。
「あれから5年…、アッという間ですね。あのとき、投げないで持ち続けたからこそ、今の生活がある」と思っています。
ところで、5月は、時間を扱ったテーマを中心として、日記を構成しました。そろそろネタが尽きてきました。しばらくは、道楽の作家活動に集中します。皆様方のご活躍をROM専で拝見させていただきます。それでは……