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マチづくり(ストレス発散記事です、長いです乱文です適当です)

マチづくりは人づくり。僕もそう思います。


 


いいですね。


 


さて、そんななかで力を入れて活性化させる地域とは駅前なのか中心市街地なのか、そういった疑問がわいてくるのが一市民の務めのような気がする今日この頃です。


 


助成金の絡みで「中心市街地」という言葉を利用するだけなのか、それとも「中心市街地」とはどこからどこまでを指しているのかあやふやなままで「駅前」の整備に力を入れるのか。


 


現在立ち上がっている事業を見ても「中心市街地」の活性化とは言えないのが現状である。


 


駅前を再開発することは決まったことなので何も是非を今更話しても何にも意味がない。


 


これから再開発した「駅前」をどう見ていくかを協議していくことこそが本当の活性化事業なのだと最近思う。


 


駅前の新たな施設については意見は悲喜こもごもであるのだが、出来たものはしょうがない、では出来たものをどのようにして利用していくのかを考えてゆくほうがワクワクする。


 


「駅前のため」のものにするのか、それとも「中心市街地のため」のものにするのかが思考を巡らす第一歩だ。両方とも「市民のため」であることが大前提ですけども。


 


「駅前の活性化」ということであれば商業活性化事業の構成員は駅前の商店街が中心になって行えばいい。だけれども「中心市街地の活性化」ということになれば中心市街地の主だった商店(スーパー・ショッピングモール含め)が事業に参列していることが必要だ。


 


今の街の構造上、昭和40年代から市の人口は2/3まで減少している。(合併した市町村の人口は抜いている)


 


パイはものすんごく限られているのだ。


 


こんなものを取り合うというのであれば「駅前の再開発」は一体誰の為なのだろう。


 


僕は考える。


 


中心市街地には商店(スーパー・ショッピングモール)が存在し、日用雑貨、生鮮食品などはこちらで補完できる。近頃は隣町にまで買い物に出かけることだって当たり前だ(S40年代からこの傾向は見て取れるんだけどもね。僕の住む町は近頃とはS40年代も含むのである。少し皮肉です。)


 


駅前の商店街を昭和の時代のように「賑わい」を求めるようなことを考えているようであればいったい誰をターゲットにしているのだろうか。


 


「市民」なのか「観光客」なのか「近隣の市町村民」なのか。


 


駅前の商店街は昭和の時代では商店街を中心とした町の町民や近隣の町民の生鮮食品や生活必需品、消耗品を提供していたことは事実である。


 


その頃の賑わいは「駅前」「工業団地」の影響もあり大変なものであったと想像は容易だ。


 


しかし、現在の町内人口はその頃の半分、「工業団地」も一企業のみが残る状態。そして駅の利用者の減少などでもともと身近な商品を欲していた人たちが減ってしまった今、昭和の時代を取り戻そうと思っても難しい。


 


それは、人がいないのだから。


 


そして市民は「中心市街地」の既存の商店で事足りているし足らなければ市外にだって足を運ぶ。


 


では、提言として、もし商業のみでどうこうしたいというのであれば、特別なもの、流行的でかつ文化的な普段手に入らないような珍しいものなどを得意とする商業区となることが必要ではなかろうか考える。


 


存外この点については昭和の時代からその購買意欲の傾向が駅前に対してはあり、駅前は都会である(田舎にとっての都会である。)というワクワク感のもと、買い物にやってきたあの雰囲気を取り戻すことは難しいのだが(これは高速道路の発展、車社会のなせる業で政令都市圏まで車で2時間もあればつくのだから)それでもというのであれば、特化した商店街でなくてはならない。ターゲットは何か、「市民」なのか「観光客」はたまた「近隣の市町村民」なのか、あやふやなままでは心もとない。


 


さて、さらに建設的な話に進みたい。その頃の「賑わい」を取り戻す方法は商業だけにたよるだけではないことは確かである。「カーニバル」を行えばいいのだ。つまりイベントだ。だが、その「賑わい」は期間限定という罠も仕掛けられている。


 


田舎は常に刺激を求めているといっても過言ではない。


 


「カーニバル」を開催すれば自ずと人はやってくるのだ。市内外からやってくる。僕がポイントにしたいのはここである。


 


昔は都会であった駅前へむかう買い物客はみなワクワクした感情をもってやってきたのだ。今更都会だからという感覚でワクワク感を駅前に作り出そうなんておこがましいし不可能だ。


 


さて・・・提案したこの方法実は別に問題がある。「カーニバル」はカンフル剤でしかないということだ。幾つも打ち続けると効果も薄れてゆく。人間の想像力もまた有限であるからだ。ゆえに年に2、3回が関の山ではなかろうか。しかし、これを固定化し10年、20年と続けてゆければどうであろう。きっと多くの注目を得ることができる。当然、そのように働きあけ続けてゆかなければいけない。


 


現実的にここ数年の活性化活動をしている市民グループ主催の「カーニバル」は市内の多くの人材を巻き込み成長し続けている。その必要性と効力については実証済みといえる。


 


「カーニバル」の特性を生かして駅前の「賑わい」をその一時、取り戻すことができればいいのではないかということで落としどころにしたい。


 


さらに思考を巡らすと「カーニバル」を楽しむための「イベント」を年1、2回の開催の合間に実施することが大切である。わかる人だけが楽しむとはいかがなものか。だれでも普通に参加できるオープンスペースでの開催が必要となる。それを合間に2、3回実施できればよい。そうすることによってさらに「カーニバル」を深く味のこいいものにしてゆくこともできるし宣伝効果も出てくるはずである。


以上を論じでみたがどうだろう。


 


ストレス発散の為、乱文長文になったことは仕方ないとして、論として成り立つかと心配です。


 


もっと、いろいろと頭の中から出てきそうですが、ストレス発散の時間はここまで。


 


また今度チャレンジしたいと思います!


 


パンドラの箱を開いたのだから・・・


 


では、本日もお疲れ様でした!


 


4月も目の前です!


 


春真っ盛りとなるよう元気よくいきまっしょい^^ノ

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