フィギュアスケート高橋大輔、浅田真央、モーグル上村愛子など惜しくもメダルを獲得できなかった選手達。
それぞれの状況の中で自身の力を100%出し切ってメダルを獲得出来なかったことは非常に残念だが、メダルを獲得していないのにも関わらず、人々に大変大きな感動を与えたという事実は、今までのオリンピックではこれほど多くは見られなかった。
私自身、彼等が自分の全てを出し切り最高のパフォーマンスをしただろうと感じることが出来たので、この現象を自然と受け止めることが出来た。
しかしはっきり言えることは彼等はメダルを狙っているのだ、勿論金メダルを狙っているし、出来れば欲しかったただろうと思う。それでも取れなかった、くやしい、でも全力は出し切った、だから満足しているのだと思う。
だから私がそれを見ていつも思い出す事がある。それは小学校などの体育祭などで順位なんか関係ないんだよと言って始めめから順位そのものを無くしている所があるということだ。
理由はそれ程深く関わったわけではないので、なんとも言えないが、
「1位になった子はうれしいが、負けてしまった子が可哀想だから。」というような意見があったと聞いたことがある。
たしかにそういう意見もあるかもしれないが、そうしてしまったら人間は成長しづらくなってしまうのではないかと私は大変不安を覚えてしまう。
人は皆社会に出れば何かしらの競争にさらられることになる。順位こそつけていない局面が多いことも確かだが、1番になりたいとか、あの人のようになりたいとか、何かしらの目標を見つけて日々努力しているのだ、
だから子供のころからその目標そのものを消してしまうというのは、本当に正しい選択なのかと時々考えてしまうのだ。
確かに負けた子は可哀想だ、でもその子はその子より出来る新たな目標が出来て良かったじゃないか、
「悔しいでも今度は負けないぞもっと頑張るからな、」「なになにちゃんはカッコイイね僕もああいう風になりたいな。」悔しくて涙してもその後にそういう前向きな気持ちを出すように促すのが教育ではないのでしょうか。
確かに競争に負けて投げやりになってしまうこともある。やる気がなくなることもある。自分には才能が無いんだと思ってやめてしまうこともあるだろう。
でも大人になれば仕事をしお金を稼ぎ自分自身で生活することが出来る用にならなければならないよ、パパやママ、おじいちゃん、おばあちゃんはいずれ先に死んでしまう。みんなが競争しなくて生きていけるような世の中ではないのだよ、だから自分の得意なところでいいから一生懸命がんばりなさいって厳しいことも教えなければならないとおもいますが、どうですか。
順位を無くすということはそれに反してしるような気がしてならないのです。
ナンバーワンにならなくてもいいオンリーワンでいい、確かにおっしゃる通りだと思いますが、だからと言って初めから順位を付けなくてもいいということにはならないと思う。