いつのことだっかか、多分数年前のこと、囲碁教育研究会後の懇親会の席上、ワイワイガヤガヤの中で、どうしてだか、突然「空海(弘法大師)の囲碁観」がM氏との間で論争になった。
M氏の論点: 「空海は囲碁を禁じていた。何かの本で読んだから間違いない」
翔年の論点: 「空海は途方もなく大きな人物だ。囲碁の良さを瞬時に理解したろうから、そんなことを言うわけがない。何かの間違いだろう。確かだというなら、誰の書いた何という本か教えて欲しい。」(翔年は孔子が囲碁の効用を認めている記述が論語にあるし、空海が渡った唐の時代、琴棋書画として囲碁は上流階級に広く認められていた事実から、状況としてそんなはずはないとの大局観を持っていた。今も持っている)
たわいのない論争かも知れませんが、みなさんはどう思いますか?
大抵の囲碁好きは囲碁仲間が増える嬉しい。翔年はわが国のみならず、世界中に囲碁が広まることを願っているので、空海が囲碁を禁じたとなると、その理由がどうしても知りたくなる。願わくばM氏のいっていることが間違いであって欲しいとも思っていた。
翔年が読んだ空海関係の本は司馬遼太郎著「空海の風景(上・下)」、松岡正剛著「空海の夢」、夢枕獏著「空海曼荼羅」、宮坂宥勝監修「空海コレクション1」のたった5冊。これらの本には空海の囲碁観が書かれていなかったことだけは確かなことです。
ただ、囲碁を禁じると言った人が空海とあっては、著作を探索するだけでも大変。松岡正剛氏に言わせると「カリスマ宗教家空海」は、また「言語哲学者」、「カリグラファー(書)」、「ディベロッパー(開山、遊山慕仙)」、「アートディレクター(曼荼羅)」でもある巨人だから全体像を把握するのは難しく、M氏との論争は酒席でチャリンと一戦交えただけでその後進展はありませんでした。
弘法大師の碁観(古代囲碁の世界344ページ、クリックして拡大すれば読めます)
ところが、先日偶然、南森町の囲碁梁山泊でM氏にであった。彼は渡部義道著「古代囲碁の世界」を示して「ここに書いてある」と誇らしげに言うではないか。これは確かめる他ないと、昨日梁山泊から借りてきて確かめたところ確かに「弘法大師の碁観」が書かれているではないですか。
でも問題の箇所をよく読むとちょっと変です。転記します。赤字の箇所にご注目下さい。
「同じころ、盛況な碁界に水をさすかのように、弘法大師は門弟達に囲碁・双六などを停止せよという遺言を残して亡くなった。その趣旨が『帝王編年史』(巻十三)に収録されている。」
疑問点1:
空海の遺言は25か条の「御遺告」として門外不出ながら残されているはずなのに、渡部氏はなぜ原典ではなくその趣旨を書いた「帝王編年史」の記述を引用しているのだろう?
疑問の一つは解消:
渡部氏は門外不出の御遺告を見られないので、やむを得ず帝王編年史の記述から空海の遺言を推定したものと思われる。
ただし、「帝王編年記」(編年史ではありません)は僧永祐撰と伝えられている27巻の資料ではあるが、翔年は本当に空海の遺言を書き写したものなのかどうか、なお疑問の余地は残っているとこの時点では見ていました。
第二の疑問もほぼ解消:
翔年は原本主義です。なんとか「御遺告」を読みたいと思い、いろいろさがしました。幸い、ネットにコピー禁止の現代語訳がアップされていたので逐条を精読したところ、第17条に空海の囲碁観を述べた箇所がありました。
「(僧尼令で碁や琴は禁止されていないが禁止する理由は)もし、まだ十分修行を積んでいない僧や少年たちにこうした遊びが黙認されるならば、必ずのちの世に罪過となるであろう。」
ここに至って翔年は、空海はまだ十分な判断力のない修行中の僧達はこのような遊びに近づくなと言っていると解しました。それは18条にある「東寺の僧坊に女性を入れてはならない」という遺告と同じ趣旨です。曰く「女性は天下万民のもとであり、氏族をひろめ一門を継ぐものである。しかし、仏弟子の場合は、女性に親しみ近づけば諸悪の根源となり云々」とあります。
囲碁も女性も魅力がありすぎるので、淫する心配があるということなのでしょうか。(笑)
空海が囲碁を禁じたのは、仏弟子に対してのみで、一般人には禁じていないと理解して、翔年はようやくほっとしたのでした。(笑)
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