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高崎市、妙見寺 9月1日(日)18時49分

高崎市の妙見寺をネットで見てみる。ここは幼い頃遊んだ場所である。そうすると、説明不十分と思われる説明があちこちにある。妙見とは北極星(北辰)をさす。この頃は仏教が日本に伝来して間も無い時で、神仏習合であり、神社とも寺とも言える神仏混合の寺である。寺なのに鳥居があることでもわかる。妙見寺の本尊は北極星(北辰)の自然信仰でもある。その後、天台宗となっている。

 

このすぐ隣に上野国分寺跡がある。ここでも、小学校の帰りに遊んだことがある。この国分寺が、何時消失したか、あるいは崩れ落ちたかは不明である。場合によると、平将門の乱(940年頃)で焼失したかもしれない。

 

この高崎市の妙見寺は、司馬遼太郎の時代小説「北斗の人」でも出てくる。北辰一刀流の千葉周作の若き頃の話である。この中では佐鳥の姓(妙見寺の隣の家)や、今でもある地名、引間、稲荷(稲荷台)、惣社(総社)、野良犬、伊香保温泉、赤堀などが出てくる。千葉周作は江戸、お玉が池で玄武館の剣道場を建てているが、玄武とは都(平城京とか平安京)の北側を守る架空の獣である。千葉周作には先祖から、北極性(妙見)信仰があった。ここで、馬庭念流との決戦のための祈願をした寺である。(小説の話で、事実は不明。)

 

妙見寺の直ぐ前の小川の名が染谷川(そめやがわ)である。染谷川は武田、上杉の箕輪城の戦いで血に染まったのでこの名があるという説もあるが、箕輪城はこの妙見寺から20キロ離れた位置であるので、平将門の乱かもしれない。将門は前橋市の元総社神社に本陣を構えたことがある。乱暴者で、武力(暴力)で、関東を支配することを考えたのである。武士とは、武器を用いて、田畑を踏み荒らす乱暴者が当初の意味らしい。一種のアウトローでもある。暴力にものを言わせ、人々を支配しようとしたのである。武士道なるものは、天下太平の江戸時代に、将軍に都合よく考えられた、お世辞の(ごますり)理論で、武士の位置を確立したとも言える。

 

平安時代の武士は、武力を持った「用心棒」であったことでもある。北面の武士とは、上皇の身辺の警護する武力集団であった。

 

いつの世も、武力(暴力)を持ったものが、幅を利かせている。現在の武力は、国の軍事力である。平和な世の中とは、ほど遠い。

 

 

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