今、中国関連銘柄と言えば小松製作所、日立建機、ファナックなどの企業名が真っ先にあがりますが、他にも
三菱重工業、トヨタ、東芝、パナソニック、ユニチャーム、セブン&アイ、ファーストリテイリング、伊藤忠商事などの名前があげられます。
そもそも日本企業の中国進出は1972年、日本国の田中角栄総理、大平正芳外務大臣と毛沢東主席の中華人民共和国、周恩来首相、外交部姫鵬飛部長のとの間で日中共同声明が署名され日中国交回復(日中国交正常化
)がなされたことからです。
そして、具体的にこの時期にまっ先に日中経済交流の関わったのは全日空の岡崎嘉平太社長でした。ここで名高いのがLT貿易(日中長期総合貿易に関する覚書)です。
この岡崎氏が接触していた人物は天安門事件での北京での鎮圧を命じた陳希同北京市長でしたが、上海閥、江沢民国家主席により失脚させらます。
陳希同排除後、江沢民派の李其炎が市長になります。
この中国でお決まりの権力闘争の末に、この全日空の事業である「北京新世紀飯店」は伊藤忠商事と北京市旅遊公司の合弁の会社ですが、やがて経営危機状態となり全日空は撤退します。
また鄧小平から直々に中国の近代化への協力を求められた松下幸之助の松下電器産業(パナソニック)も国交回復時からの進出企業ですが、今やパナソニックは井戸を掘った面影もなく反日暴動で荒らされてしまいました。
次に2001年の中国WTO加盟のあとに対中投資を本格化させたのが王子製紙、渡辺正社長ですが許認可権の問題、環境問題などで投資額2000億円の「南通プロジェクト」は中断しています。
ここでの問題は「江蘇王子製紙有限公司」に地元南通市政府から合弁を強要され市当局も経営に加わって来たことにより身動きが取れなくなったことです。
また、2000年代初め、大きな話題となったのがヤオハンでした。
ヤオハンは上海で「上海市第一百貨商店」と合弁事業を始めました。
なお、その「上海市第一百貨商店」の提供は土地だけです。
そのヤオハンの末路は事業不振、安い値での処分、撤退でした。
最近では伊勢丹、ヤマダ電機も撤退していますが、ドイツの家電量販チェーン「メディア・マルクト」や米国の「ベスト・バイ」、英国「
TESCO」なども店舗閉鎖をしています。
少し前に戻ると江沢民国家主席、李鵬首相、朱鎔基副首相指導部体制の上海では「上海環球金融中心(センター)」建設で
ODA絡みで森稔会長の森ビルが関わり撤退も出来ない状況の後予算オーバーで三菱UFJ銀行の融資を得て何とか完成というケースもありますが、全てと言ってよいほど地元政治家などの利権が絡んでいます。
他によく知られている進出企業は自動車業界ですが、これは中国の地域閥ともいえるものとの絡みがあり合弁会社です。
上海 - GM・フォルクスワーゲン (上海汽車工業)
天津・四川 - トヨタ (中国第一汽車集団公司)
武漢 - 日産・ホンダ (東風汽車)
広州 - ホンダ・トヨタ (広州汽車工業集団有限公司
など
他資料
日中友好協会(加藤紘一会長)、日中協会(野田毅)、日中文化交流会(堤清二〔辻井喬〕)、日本国際貿易促進協会(河野洋平)
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以上は「中国と伊藤忠商事」の前置きです。
青木直人 「誰も書かない中国進出企業の非情なる現実」より