先般来の「農薬入り冷凍餃子」事件の影響で、当工場も大変な被害を被っています。
まず、中国側の食品検査体制が、明確な根拠を提示されずに無期限の(先が見えないまま)停止状態に陥っていることです。
もう1ヶ月も食品関係の輸出許可が下りていません。中国側で製造している大手中小を問わず食品企業(おもに日系企業)は、その対応に焦りや弱気を通り越して、いわば諦め気味です。
ここまで件(くだん)の事件後、事態をこじれさせ、放置して無策であるのは、日本政府にも責任の一端があります。
先日の朝日の日曜報道娯楽番組で、自民党の中川元農相がこの件で中国側の「何らかの別の意図を感じる」との発言がありましたが、冷凍餃子事件は両政府の緊密な捜査による解決を政府間で約束したのですから、他の食品輸入問題とは切り離して善処すべきです。
少なくとも日本政府は、中国からの食品輸入問題を事件と切り離す交渉を進めてから、事件への厳正な対処を表明すべきでした。事件の重大性ばかりを出張し、中国からの食品輸入が停止すれば、食の確保を多く中国に頼る日本は、いきなり不利な立場に立たされます。
これでは、数年前のネギや畳表等3品の暫定輸入規制問題の応酬合戦に引き戻された格好です。日本政府は何度中国との交渉に於いて同じ誤りを繰り返したら気が済むのでしょうか。
すでに、スーパーでは中国産野菜や食品加工品を見るのは希(まれ)になっていますが、消費者が買ってくれないから置かないとか、業者側の安全確認が済むまでの自主回収・撤去が理由だけではなく、中国からの食品全般の輸入停止が一番のその理由です。
こうした日本政府の外交交渉能力の低下は、どうやら日本側の政治・政策執務能力の低下や、さらには経済影響力の低下にも関係があるのかも知れません。
前回の日記に取り上げた中国の全人代での温首相の活動報告のポイントをもう一度思い出してみましょう。
先ず、慎重な対処を要する中国内陸部の農村の農民には、収入増と農業振興策と農村インフラの整備を挙げました。
一方、台頭し発言権を増しつつある中所得層に対しては、要望の高い中低価格住宅の供給増を掲げ、都市住民や社会全体層に向けては、インフレ対策と民生充実、マクロ経済調整による均衡有る成長を言い、格差増大の鍵を握る一方の主役である一握りの富裕層には引き続きの金融引き締め政策と権益を握る役人等の腐敗防止と順法意識の教育を徹底するとしています。国際関係では貿易不均衡が言われることに対しては人民元レートの柔軟な緩和と国際非難の強い環境問題への取り組み強化を柱としています。
全体として、和諧社会(ほどほどの豊かさの実感できる社会)の実現を全体目標として掲げており、社会分析を綿密に行って、絶妙なバランスの取れた政策が打ち出されているという印象を受けます。
問題が多いと思われるのが、一方の日本です。
日本の戦後からの高度経済発展がバブルの破綻で終わっての後、いわばその戦後処理は惨めさを伴う急降下と我慢の連続となります。
現状を放置し続ければ、これからの時代に待っているのは、経済の地盤沈下と見渡せば老人ばかりの少子高齢化時代と税負担急増の時代です。
乗りかけた日本の国際化は後退し、サッチャー時代以降の英国のような劇的な制度や経済の立て直しがなされない限り、策もなく、いつまでも同盟国の米国経済追随で、いずれ米国の凋落よりも早く苦汁をなめる時代が来るでしょう。
いち早くグローバル化した大企業が英知を独占して勝ち続け、世界的な評価を受け続けることで、日本人の優越感は大いに保たれることでしょうが、一方足下の経済やコミューンは目を覆うばかりの凋落状況となり、国内の経済は平凡で目先ばかりに気を取られるマッチポンプの経済に陥るでしょう。
庶民の心理的な不満は蓄積され続け、ストレスが多く報いられることの少ない出口の見えにくい社会状況が到来するでしょう。
悲観は根に巣くい、楽観は目前に降り注ぐ性質のものですが、これはネガティブ・シンキングとポジティブ・シンキングと言い換えてみると、あたかも前者が車のブレーキに当たり、後者がアクセルの関係に喩えられるでしょう。
同時に踏み込めば、ブレーキの方が勝ってしまいます。
目前が予想不可能な要素が多いとなれば、恐れてブレーキを踏み続けなければなりません。
強気にアクセルを踏み込める時を想像してみて下さい。
それは、完全に目前の不安が去った後の至福の一時です。
至福の航行を続けるには、不安が去り、良い環境と条件が整い続けなければならないのです。
日本は、その良い環境と条件とをどうやったら取り戻し、更に持続させることが出来るのでしょうか。
<つづく>