kahtibaiさんのブログ
詰将棋
効率、効率、効率、、、、
効率を上げると楽に豊かな暮らしが過ごせる。
それは本当か?
考えてみると僕の人生は詰将棋みたいだ。どんなに頑張ってもヨボヨボになって死んでいく。
これだけは避けられない。
しかも、人生のほとんど90%以上は辛いことばかり。
こんな人生を効率的に生きるには引きこもって生きるべきか、今すぐ、、、、、
けれども僕は知っているんだな。
人間の体は、心は、効率的な生活に耐えられるものではない。
ただ、この効率的であるべきなんだ!という価値観はもうすでに多くの日本人に内面化されて
チョットやそっとでは絶対に変わらない。
自分の子供や仕事の後輩が楽しそうに延々と非効率な事をしているとイライラして怒ってしまう。
そうやって何回も怒られた子供は大きくなったとき無条件に効率的であらねばと思う。
無条件に!
戦争時、大不況に受けた心の傷はこうやって何十年も世代を超えて受け継がれていく。
だから、奴隷の必要な貧しい社会は戦争をするし、不況を作るし、家族の絆の大切さを訴える。
こうして人は分断され抑圧の内面化は強化される。
効率ババアが白と言えば ハイ、白。
黒といえば ハイ、黒。
効率的だと褒められた瞬間だけが楽しい瞬間。
効率を追求すると体はまったく動かなくなる。
そうやって心も体も壊れていくんだな。
価値観を変えるには非効率に動くこと。
本当に楽しいことなんてそうそう見つかるもんじゃない。
野菜を買うよりタネを買う。
魚屋よりも釣具屋へ。
おおおーーー。なんて不効率な生活!
こんな不効率。アホらしくてやってらんないですか?
でも、所詮、僕の人生はは詰将棋。
パブロフの鱒という本にこんな一説がある
コップ半分の水を見て
”半分しか無い。”
”半分もある”
こんな甘いことじゃ釣りなんかしてられない。
釣りをするんであれば、コップの底に一滴の水を見つけたら
”今にも溢れそう!”そう思うくらい精神に異常がなくてはいけない。
そうでもなければ、釣りなんてやってられない。
すべてにおいて効率的な国ではコップの中に水がどれだけ残っているのか、
それを知らせることが良いのか悪いのか?効率的に見てどうなのか?
論議が続くだけで、結局本当のことは知らされない。
「コンピューターと将棋をして勝つ自信は?」
今の話じゃないのでどうなのかはわからないのですが、彼曰く、「途中でわけのわからないありえない一手を打つ」んだそうな。
そうすることによって、機械は一生懸命その手の意味合いを探って労力を使ってしまって悪手を打つのだと。
話変わって、最近よく言われるようになったことですが、「アリの3割がさぼってる」という話。
先日、公園でハンバーガーを食べてたんですよ。そしたらお行儀が悪いんでしょうかねえちょっと落としてしまいまして。(笑)
アリさんが寄ってくるんですね。小一時間ほど見入ってました。(笑)
たかるんですが、そばに寄ってきても仕事をしないヤツ、ぜんぜんそばにも寄ろうとしないヤツ、そばに来たけど踵を返してどっか違う方に行ってしまうヤツ。
いろいろいるんですね。
で、その時気がついたんですが、仮にそれが毒物だったら?捕まえるための罠だったとしたら?
全滅しないための方策なんですね。自然の摂理。
効率を求めるんじゃなくていろいろな手を使う。
別の場所にもっといいものがあるかもしれないのでね。
え?そんな風に思うのは自分の怠け心を正当化するためだろって?
ううむ。それも生きるための方策ってことで。(笑)